2016年01月07日
老子 最終章・八十一章 「信言は美ならず、美言は信ならず」
最終章(八十一章)
いよいよ最終章です。
やはり全・八十一章は長かったです(笑)。
しかも、古典の老子は
基本的に全章同じことを説いています。
だからチャネリングも
違う方向から入るだけで
いつも同じところに繋がるから
新しい文章にするのが難しい。
その同じこととは
もちろん道なるタオについてです。
同じタオを81の違う角度から
立体的に
理解を深めるために
観照していく
これが老子の狙いだったのでは
ないでしょうか?
数秘術で言えば
81は9×9で
宇宙のスペースを示すようなイメージです。
さて
そして最終章の本題です。
人間が思考する上で大切な「言葉」のお話です。
人間は言葉で思考するから
大なり小なり
必ずミスコミニケーションが起きます。
言葉とは何かを表す記号のようなものです。
即ち省略ですから
完全に伝わらなくて当然かもしれません。
例えば
2時間半の映画を観て
あなたが感動したとしましょう。
その映画を友達に伝えるために
言葉を用いますが
二時間半のセリフ全てを伝えれる人は
まずいないでしょう。
それに映像や音もあります。
大体が五分か十分の説明になると思います。
言葉を使って思考やコミュニケーションする限り
我々は常に省略して思考し伝えているわけです。
しかし
とりあえず
そのような脳の機能や
心理学的要素はおいておいて
老子の言葉に耳を傾けてみましょう。
「美しい言葉は
信じられず
信じられる言葉は
一見美しくない」
と老子は言います。
たぶんこれもみなさん経験ありますよね。
例えば
結婚詐欺師は、感動するほど美しい言葉を用います。
感動させてだますのが目的だからです。
また、「何かあったら助けますよ」と普段から
豪語している人に限って
いざと言うときには
嘘の用事を作ってトンずらしています。
そしてことが終わったのが確認できれば
駆けつけて、
また美しい言葉で
「あの用事さえ無かったら
必ず真っ先に助けたのに残念です」
「いつも心から貴方の心配をしているのですよ」と
言葉だけは美しく繕います。
僕も若いころはそのような心強い?人々に囲まれていました(笑)
これは人から聞いた話ですが
某募金団体の看板的な
あの有名中国人タレントも
東日本震災の直後、
傷心して中国に帰り
「皆様の無事を祈り千羽鶴を折っています」と
美しい言葉を並べて同情を引いていたようですが
実際は放射能が怖かっただけなのかもしれませんね。
誰もが何も無いときは何でも言えますが
本番が来ればそれどころではありません。
そういうのをまとめると偽善者というのでしょうか?
反面、本当に相手のことを思ってくれる人なら
真実を伝えるから
お世辞も愛想も無いかもしれませんが
そこには愛があります。
もしそういう愛のセールスマンなら
相手のことを思って無理にすすめないし
必要なときはさりげなくサポートをします。
そしてその功を自慢しません。
いつも相手のことを考えてくれるから
悲しそうな目をしているかもしれません。
相手の意思を大切にするから一見消極的ですが
相手が言われたくないことも必要なら言います。
本当に信じられる言葉は
一見受け入れがたく
信じがたいものです。
しかし、
あなた自身が
そういう姿勢の言葉で
人に接することは
実に有意義です。
言葉を飾り立てず
真実を必要に応じて伝える。
それが言葉のミスコミニケーションも最小限に抑える道ではないでしょうか?
さてさて
老子とは一体何物なのでしょうか?
諸説が示すように
実在の人物ではないのかもしれません。
たぶん老子は誰の中にもいるのです。
貴方を支えている地球や宇宙を貴方が感じるとき
その感じている貴方が老子なのです。
だから数ある古典の中でも
老子は古くならないのかも知れません。
むしろ地球の進化に追従して
進化している不思議な古典です。
これから僕も
自らの中にもある老子と言うテーマを
未来に深めてみることとします。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2016年01月06日
老子 八十章 「桃源郷」
八十章
桃源郷とは神秘的な響きですね。
タオを知るもののみ
住む小国である。
田舎のようで
一般的な田舎のことを言っているのではない
自然が溢れているようで
人も暮らしている。
武器も車も船も使い道が無い
全てが満たされているから
発明や侵略が必要ないからだ。
桃源郷にようこそ
国王の老子が迎えてくれた。
しかし誰も彼が
国王だとは気付かない。
誰が見ても
国王に見えないからだ。
だから
桃源郷は平安だ。
いよいよ明日は
老子最終章です。
お楽しみに。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
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2016年01月05日
老子 七十九章 「善人」
七十九章
天道は常に善人に与す。
よく、善人でがんばってきたのに
何にも良いことが無いと
相談を受けることがあります。
だったら善人を止めればよいのか?
人を怨み、責めればよいのか?
老子は
それは徳の無い人の生き方だと言います。
まず貴方が徳を積む努力をすべきです。
善人はある意味がんばってするものでも
人の目を気にしてびくびく良い人を
演じるものでもありません。
徳のある人は
どんな優位な立場でも
人を責めないものです。
善人しか出来ません。
天道と徳は密接な関係を作り出しています。
善人を頑張るより
まず徳を積むことを頑張りましょう。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
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2016年01月04日
老子 七十八章 「天下の王」
七十八章
天下の王とは一国の影を背負う者である。
人民の不幸や苦しみ、恥や不安、怒りも悲しみも
全て背負うことが出来て初めて天下の王となる。
そしてその王が
歴史上もっとも
大きな愛を見つけるであろう。
歴史上もっとも
幸せな王様に成れるであろう。
ダルマ
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2016年01月03日
老子 七十七章 「天の道と人の道」
七十七章
本来同じであるはずの
天の道と人の道が逆になっている。
天の道は
自然界の有り余るものを減らし
足らぬものに与え続けている。
反面、人の道は
豊かなものが貧しいものから搾り取っている。
有り余るものに足らぬものが貢とは
人の道とは天の道とは
まったくの逆ではないか。
自然と逆行している限り
貢ぐものも貢がれるものも
幸せになれないのでは
ないだろうか?
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
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2016年01月02日
老子 七十六章 「柔弱」
七十六章
老子曰く
宇宙では「柔弱」なものが最強だ。
我々はより大きくなるように、
より硬くなるように育てられてきた。
しかし実際には武力を誇る強大なものは滅び、
大木さえも硬く干からびると
すぐに折れるではないか。
当然生き物も生きているときは柔らかいが
死ねば硬くこわばる。
老子の言う「柔弱」とは
生のあり様そのものを
表しているのではないだろうか?
もし貴方が幸せに長生きしたければ
「柔弱なもの」からも学ぶことが
必要かもしれない。
ダルマ
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2016年01月01日
老子 七十五章 「国家のカルマ」
七十五章
新年早々老子は言う
国家が税を取りすぎるから人民は貧しい。
国家が干渉しすぎるから人民は逆らう。
国家が欲望をそそりたてるから
人民は命を大切にしないと。
この古典にも歌われるほど
国家は昔から同じことを繰り返して
何度も破戒と再生を繰り返している。
このカルマから抜け出すには
人民も指導者も
後何回やり直さなければならないのだろうか?
ダルマ
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2015年12月31日
老子 七十四章 「刑罰」
七十四章
人間が考えた法的な刑罰は
宇宙の真似事のようなものだ。
例えれば素人が大工の真似事で
木を削るようなものだ。
本来は今も天道が刑罰を下している。
歴史上にも
破滅や破局はたくさん
記録されているではないか。
当たり前のことだが
人間の考えた刑罰だからズルもある。
嘘もある
優遇や
間違いもたくさんある。
そのような刑罰の間違いにまで
また宇宙は刑罰をくださなければならない。
いっそのこと
人間が宇宙の変わりに刑罰をくだすのを止めて
刑罰を宇宙に委ねてみてはどうだろうか?
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
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2015年12月30日
老子 七十三章 「固執」
七十三章
時間が待ってくれないように
我々はこの瞬間も変化し続けている。
何かに固執するということは
自然の時間の流れに
ブレーキをかけるようなものだ。
誰もが自然に変わればよい
それが宇宙の摂理だから
出会いがあり
別れがあり
犠牲もありで
前に進める。
それは裏切りではない
信用できないものでもない。
逆に
かたくなに何かに囚われている
固執の人ほど
もっともらしい理由をつけて裏切る
意外と信用できないものだ。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
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2015年12月29日
老子 七十二章 「抑圧」
七十二章
人民が抑圧されれば
天下は大乱に陥る。
そんなこと
歴史の繰り返しから学べば
解りきったことだ。
しかしいつの世も
人民は抑圧に苦しむ。
反面
抑圧する側は
最近の人民は
我慢が足りないという。
ちょっと前の日本の指導者も
痛みを我慢しろと強制した。
そしてみんなが我慢している間に
彼は欲望を達成して去っていった。
そのあとの彼の顔を見ていると
日本の国民は
抑圧しがいが無いと
思っているかもしれない。
しかし
抑圧される側と
抑圧する側は、
同じ人間の裏表だ。
貴方は抑圧する側に
いつなるかもしれない。
いや既に経験している。
会社での部下への抑圧
子供への抑圧
夫婦間での抑圧
自分自身への抑圧・・・・・
抑圧はきりがない。
もっと人間の本性を大切にしようよ。
自然界はもっと厳しいけど
抑圧では出来ていないよ。
ダルマ
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2015年12月28日
老子 七十一章 「無知を知る」
七十一章
人間の知には限界がある。
だからある意味
人間は常に無知なのだ。
その限界を知り
常に無知であることを意識できれば
迷妄に陥ることは無い。
ダルマ
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2015年12月27日
老子 七十章 「人は見かけに騙される」
七十章
例えば
二人の男が近所を歩いていた。
一人は
強盗だが愛想よく作り笑い
立派なスーツ姿で下見をしていたとしよう。
もう一人は
ふところに玉を抱く聖者が
見にボロをまとい
うつろな目で
歩いていたとしよう。
貴方はどちらの人間に好意を持つだろうか?
どちらの人間から話しかけられたいのだろうか?
老子は言う
物事の基本原理
宇宙の法則がわからない限り
タオは理解できないと。
それはいかなるものも
その基本原理で出来ているからだ。
しかし
この基本原理を人々は無視し続ける。
そして
人がまとっている衣や作り笑顔や
評判に騙される。
基本原理はこの世の全てだ
貴方さえ惑わされなければ
実は簡単なものだ。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月26日
老子 六十九章 「老子流・兵法の極意」
六十九章
世間の常識では先手必勝
しかしタオでは
退いて守れ
敵を侮るなと言う。
経営で言えば
勢いだけに任せて勝っていても
崩れだせばもろいのが
そういう会社だ。
相手の仕掛けを待ち
相手の本質を見抜く
歴代の戦いの記録でも
双方の戦力が伯仲すれば
攻撃されてやむを得ず
応戦する側に軍配があがる。
その理由を老子は
先に仕掛けるものは
道を失うからだという。
つまり
宇宙のサポートを
失うということだろう。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月25日
老子 六十八章 「天道の無視」
六十八章
天道はまるで我々を無視しているようで
自然に守ってくださる。
例えば
昔から戦上手は
簡単に策への誘いに乗らない
それは鈍いのではなく
良く見ているからだ。
良く見ているから
相手の策略を無視できる。
この両極あってこその
戦上手であろう。
強がらず、けんか腰にならず、
簡単に誘いに乗らない
生き方の参考にもなるのではなかろうか?
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月24日
老子 六十七章 「三つの宝物」
六十七章
ついにここまで来ました(笑)
有名な三宝です。
「人をいつくしむ」
「物事を控えめにする」
「人の先に立たない」
今まで書いてきたことを具体的にすると
この三つなのでしょうか
実は老子は一章から八十一章まで
同じことを言っているのでは?
それはタオ・道についてよね。
「人をいつくしむから
勇気が生まれる」
「控えめだから
窮屈にならない」
「人の先に立たないから
人を導ける」
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
ついにここまで来ました(笑)
有名な三宝です。
「人をいつくしむ」
「物事を控えめにする」
「人の先に立たない」
今まで書いてきたことを具体的にすると
この三つなのでしょうか
実は老子は一章から八十一章まで
同じことを言っているのでは?
それはタオ・道についてよね。
「人をいつくしむから
勇気が生まれる」
「控えめだから
窮屈にならない」
「人の先に立たないから
人を導ける」
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月23日
老子 六十六章 「海は川の王者」
六十六章
この地球上
水は高いところから低いところへ流れる。
だから地球の水は海に流れ込む。
だから
指導者も海の姿勢を見習えと
いうことである。
人民を.指導しようとすれば
先ず退いて後ろに従うべきだ。
もし
こちらを高いところにおいての
抑圧や束縛はやがて
水を失うことになる。
まず人と争う心を捨てるのが
低いところに大海を作る。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月22日
老子 六十五章 「さかしら」
六十五章
この時代「さかしら」という言葉を使いますか?
「賢しら」と書くこともあります。
今の時代、
誰もが知ったかぶりで
誰かの真似して権利や
にわか知識を主張するようになり
みんなが「さかしら」だから
特に戒める必要も無いわけだ。
老子は言う
人民がさかしらすぎると
国は乱れる。
賢いと乱れる
これいかに。
真の賢さなら
乱れないのであろう。
賢さとは
にわかには
成しがたいものである。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月21日
老子 六十四章 「基本を深める」
六十四章
基本を深める大切さは今に始まったことではありませんよね。
しかし、人間それを忘れてしまうことが多々あります。
何事も最初の第一歩があります。
基本にのっとった最初の一歩です。
そして人間は成功への道を挑戦します。
月日がたち景色が変わってくる
その高いところから眺めていると
すぐに足元が見えなくなります。
成功間近に崩れていく人生は
足元から崩れているのです。
しかし、常に基本を深められていたとすれば
どうでしょうか?
たとえ足元が見えない瞬間でも
人生と言う高い建物を
頑丈な基礎が支えてくれるのではないでしょうか?
ぼくも常々から自分のミッション(仕事)について
自問自答し続けます。
それは迷いからではなく
迷わないための予防です。
初心を忘れないために
新しいことを学ぶ場合でも
難しい高度な技を研究するよりも
基本スキルを深めることを重視します。
全ては基本から発生します。
もし貴方の中の基本が深ければ深いほど
全てのものがそこからクリエイトされていきます。
人生の学びは意外とシンプルなものなんですよ。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月20日
老子 六十三章 「心の対立を超えて」
六十三章
人間はとかく小さなものは問題にしない。
そして大きくなってから論じるものだ。
しかし、論じたところで後の祭りなのかもしれない。
それは単に
大と小の違いに
惑わされているだけなのだ。
それはある意味今日のテーマでもある
心の対立だと理解すれば
少しは解決できるのではなかろうか?
もっと解りやすくいうと
この場合は
善と悪の対立だ。
例えば
小さな問題はまだ善で
大きな問題は悪。
しかし聖人は知っている
小さな問題は大きな問題の核(種)なのだ。
小さな問題もやがて大きな問題になっていく
大と小、
この二つは同じものなのだ。
だったらまだ深く根を
張っていないうちに取り除けば
楽ではないだろうか?
聖人は終生、
大事件に直面することがないと言われます。
それは単に運が良いだけではない
対立の無い心のあり方が
作用しているのでは
ないでしょうか?
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090
2015年12月19日
老子 六十二章 「内なるものを信じる」
六十二章
タオ・道は全ての人間の奥に潜んでいます。
世界中を旅して
大金をはたいて
外に賢者を探してみても
貴方の内なるタオ・道に
かなうものはありません。
まず、貴方の内なるものを信じて
その指針で旅を始めないと
道はタオへと続かないということです。
そして、
外部のものは貴方が
タオに気付くために
存在しているだけです。
依存しても何も変わりません。
外部に期待してもそこには
何も見つかりません。
貴方のタオが動かなければ
何も進化しません。
ダルマ
ヒーリングサロン フェアライト
073-447-1090