2014年11月30日
2014年11月29日
老子 第二章
古典の「老子」について私なりにチャネリングして謎を解き明かす第二回。
沢山の情報を整理して原文の章にそってお話していくのでよろしく。
だから今日は老子 第二章ね。
二章は簡単に言ったら陰陽説を宇宙規模で語ってるんじゃないかな?
例えば人は何事も評価したがるけど
宇宙は止まっていないから決め付けないことだね。
実際の現実では、美と醜さは同時に存在するとか
善悪も同じ人の側面だったり
評価とは一点を見つめる盲目だから何事にも執着しすぎると変化したときにあなたの心が振り落とされるのよ。
じゃあどうしたらよいのかな?
何が良くて何が悪いなんて軽はずみに決めちゃ駄目なのよ。
どっちも一方的なこと言っるから戦いになるのよね。
「そちらが悪く見えるのですが?」
「こちらも同じようにそちらが悪く見えてました」
「じゃあどっちも悪いのでしょうか?」
「いや、悪いとか良いとか評価するのを止めてコミュニケーションしませんか」なんて付き合ってみたら楽しいかもしれませんよ。
仮に人間から見える善悪があるとして、それらはお互いにバランスをとりながら宇宙を回っているの。その統一されたものが宇宙なのよ。
お偉い誰かさんみたいに機嫌が悪いと攻撃して機嫌が良いと聖人になる。
それじゃあ赤ちゃん以下よね。
まあ老子の説く答えは「何もしない(無為)」「何も言わない(不言)」だけど
それは「無理」でしょ
老子はやっぱり龍なのよ。
風であり雲、空であり海、土であり水・・・・・
だからこそ老子の説く道「タオ」は、みんななかなか掴めないんだよね。
つづく
次回お楽しみに
2014年11月29日
2014年11月28日
2014年11月27日
老子 第一章
最近「老子」が夢の中によく出てくるので
今回は中国古典から「老子・道徳経」をとりあげてみた。
世界中には色々な思想があるけど「老子」ほど自然な考え方はないと思うよ。
ダルマの好きな「自然淘汰」という言葉にも似ているんだ。
伝説では、あの有名な孔子が老子のことを龍と例え賛美したらしい。
龍とは自然霊、自然そのものだ。
老子は孔子の尊い教えである固定観念をすっかり破壊しようとしたのであろうか。
孔子が道徳や品格について問答したとき老子は高々と笑って「きみのように不道徳や何の品格もない人間が考える問答だな」とまるで彼が偽善者のように扱ったらしい。
古典「老子」本文の第一章では宇宙の根本原則により万物は流転すると説いた。
インド哲学中でも普遍といわれた真理さえも固定したものではないというのだからすごい。
こりゃ固定観念崩壊だわ
しかし、老子の説いた自然とよりそう生き方は、彼がいう偽善者がはびこる孔子的現代社会では難しい。
自然淘汰に生きることは理屈で解っていても実際には色々無理が生じると思う。
そこらへんのギャップを時間をかけて取り除いていくのがこれからの人類の目標かもしれないよね。
だってこのままいったら先が見えてるよね。
自然破壊、食糧不足、異常気象、
我々は滅亡のためにお金を稼いで払っている。
我々は人類発生以来、そういう戦いを止めようとしない。
偉い人も庶民も言葉は上達してきれいごと言ってるけどね。
今の時代に老子がいたらみんな偽善者と言われちゃうよ
2014年11月27日
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2014年11月19日
心の使い方 2
それではこの間の続きのチャネリングいってみます
心の使い方2です。
心ってたぶん人間の得意技なんじゃないかな?
動物にも心はあるかもしれないけど
たぶん人間ほど問題視はしないだろう。
問題は
ほとんどの人間は心が自分そのものだと認識していること。
だから心の問題は根深く見えて実はつかみどころがない。
例えば傷つけたの傷つけられたの
怨みやの妬みやの仕返ししてまた返されて
裁判でも心が感じた刺激がすべて真実だと思って裁いてしまう。
宗教や硬い信念なんかも結局は不安な心が作り出した完成品だ。
よく考えてみると一億人の心があれば一億通りの感じ方があるんだ。
でも起こっている事は確実にひとつなんだよ。
宇宙では絶え間なく何かが起こっている。
例えば流れ星を見てある人は喜びを感じ、ある人は不吉な予兆と思うかもしれない。
でも流れ星はただ流れるだけなんだ。
もう一度角度変えて言う。
心とはあなた自身ではなくあなたに備わったものなんだよ。
体や五感六感も同じ原理だ。
それらが自分そのもの(魂)だと思ってしまい
その渦中にいる間はある意味貴方はパニックに陥っている。
例えば車や家ならあなた自身じゃなく持ち物だとすぐに判断できるでしょ?
車が故障するのは貴方が病気になったのとは違うよね。
だから心の病気は貴方の本体(魂)が病気になっているんじゃないんだ。
貴方に備わっている心の使い方で起こる心の故障なんだ。
心が苦しみ不安になればエネルギーの消耗が過剰になり故障する。
どうしてそんなに無茶な心の運転をするの?
あなたの心にブレーキは付いていないの?
もっと練習したら?
「誰かが憎い、世の中が嫌い、運勢が悪い、終わらない心の葛藤」
車の運転に例えれば
「他の車が憎い、道路が嫌い、交通状況が悪い、終わらないイライラ運転」
だからわざと交通事故を起こしてもしかたがないの?
すっきりしたかったの?
もっと練習したら。
何度も言うように心は貴方の本体ではない。
未熟な心は常に都合の良い嘘をついている。
心が作り出すリアルで強い幻想を信じるな。
理想を言えば
心と友達になり大切に使ってあげないと。
そうすれば、心はきっと貴方を守ってくれるよ。
貴方を楽しませてくれるよ。
幸せにしてくれるよ。
心は宇宙エネルギーがくれた素晴らしい贈り物なのよ。
今日のチャネリングは難しかったかな?
みんな心のことなんてまだまだ解らないから世の中の常識は今のようになっているんだ。
だから平安や幸せって今は難しい問題だよね。
2014年11月19日
2014年11月18日
ちょっと怖い氣心の使い方
氣心の使い方って何が正解なんだろう?
みんなは社会人になったら色々体裁を整えようと氣や金を使って頑張るよね。
心の中でなんと思っていようとも嘘の笑顔で付け届けしておけば大丈夫なんてね。
逆に、やることを(嘘の笑顔、ゴマすり、お世辞、付け届けなど)ちゃんとやってないと世間からなんと言われるか怖い怖い。
物をもらうほうも必ずといっていいくらい遠慮するフリを一回はする。
渡すほうも「つまらないものですが」と丁寧に中身を説明する。
じゃあつまらないものだからもらっても借りにはならないのだろうか?なんて思っちゃうよ
世間の常識でも
いつの間にかそんなやり取りも形式だけが残ってしまって
いったいぜんたい何をやっているのか?
解らなくなってきたんだよね。
大昔の戦国伝を見ていると色々な謀略で相手を滅ぼそうとする戦いの話がよく出てくる。
社会人のさまざまな心遣いの根本はここから来ているんじゃないかな?
例えば相手国と友好を結び油断させ滅ぼすための作戦で。
贈り物に裏があるのは、みえみえだから一度は本当に遠慮しているのよ。
すると渡すほうは、見破られないように作り笑顔でそんな謀略ないよ「これはつまらないものよ」って
氣心使うことで得をするのは使ったほうだよね。
使われたほうは滅ぼされるかもしれない。
氣心の使い方ってちょっと怖いよね。
2014年11月18日
2014年11月17日
2014年11月16日
心の使い方
昨日のつづき
「心の使い方」なんて意識して考えたことあります?
「体の使い方」なら考えるよね。
例えば速く泳ぎたいなら
やみくもに練習しても限界があるから
上手になるコツを学んだり
自分の泳ぐ姿を客観的に見てみたり
まあ選手なら試行錯誤してコンマ一秒を克服していくんだけど。
実は心も同じことなんだ。
コツもあるし客観的に見ることも大切
試行錯誤して心の使い方を高めないと。
都合の良いところだけ体と同じように考えて
私は速く泳ぐ必要がないから心の使い方なんて関係ないと思っているのんびり屋さんは色々悩みや心配が多いはずよ。
現代人は体については裕福で栄養価の高いものを沢山食べて普通に動く程度なら大丈夫なんだけど。
心に関してはよちよち歩きのままなんだよ。
それが証拠に人間は老人になると赤ちゃんに戻ると言うでしょ。
老人介護も幼児保育も共通点あると思うよ。
体は心の着ぐるみみたいなものだから、
体の自由が利かなくなると心が真っ裸にさらされるんだ。
長くなってきたので今日はこのへんまでで
チャネリングの自動書記もけっこう精神力使うのよ。
「心の使い方」が大切なのは解っていただけたかな?
こんどの機会があればもっと具体的にどう使うのかも
メッセージのせられると思うよ。
お楽しみに。