2014年12月31日
大晦日
2014年もありがとうございました。
皆様にとって今年はどんな年でしたか?
2014年がもうすぐゆこうとしていますが
終わった年は宝物にしてください。
たくさんの宝物を持って
皆様も良いお年をお迎えください。
ダルマ
2014年12月30日
老子 第十六章 「静」
老子 第十六章。
中国古典の「老子」を原文の章に沿ってチャネリングをしていく企画です。
今日のテーマは「静」
心とはまるで写し鏡のようだ。
何かが起これば
目で見るには変わりないが
目は判断しない。
それがまずあなたの心(鏡)に映されてから
判断される。
そのとき心の鏡の表面が歪んでいたり傷だらけだと
判断も歪む。
しかも本人は見たままを判断しているつもりだから
疑う余地も無く、見たと思うものを信じてしまう。
人間の判断なんて高が知れている。
例えば
昔の裁判で有罪になったのに本当は無罪だという人がいる。
有罪の証拠は犯行の目撃者だけだそうだ。
最初、目撃者は半信半疑だった。
でもみんながそうに違いないと言うから
そう思い込んでいく。
最後にはその容疑者を被害者もみんなも犯人だと言うから
自分が見た犯人もその容疑者に違いないと確信を持ち
「私が見た犯人はこの男に違いありません」と証言する。
人間は自分の心の歪みには気づかない。
自分の心が歪んでいるのではなく
相手や環境が歪んでいると判断するからだ。
でも心の鏡の歪みを知る方法がある。
自意識の存在だ。
中でも自意識過剰な人が特に危ない。
例えば
自分はきっとまじめで全うな人間、
常識もある人間で世間体も良いと見られてるのに違いないなどの
どちらかに偏った自称善人が
実は心にいつも波風を立てている。
いつも他人の目を意識して行動するからストレスも満載だ。
そういう人がみんなの期待を背負って正義の味方へ変貌し、
上のような犯人の目撃者を演じることもある。
さて今日のテーマ「静」とは本来の心の状態のことだ。
波風ひとつ無い水面は何もかもあるがままに映す。
それは見たままで十分ビューティフルだ。
だから何も判断する必要が無い。
心を「静」の状態にするとあなたは自然の根源に帰る。
宇宙の法則の元であなたの眼力は「明知」と成る。
さあ貴方の心に「静」を意識してみませんか。
2014年12月29日
2015ラッキーカラー
2015のラッキーカラーはグリーン、ゴールド、イエローだそうです。
ダルマは特にグリーンに注目です。
店頭にあるグリーン系の石を確認すると
エメラルド、モルダバイト、ウォーターメロントルマリン、クリムゾンキューブライト、ルビーインゾイサイト、ドラゴンブラッド、グリーンファントム、アベンチュリン、フックサイトイン・ヒマラヤ水晶、エクロジャイト、ペリドット、ユナカイト、グリーンゴールドなどなど
けっこうあるじゃん
グリーンに似た色でカーキってあるよね。
服とかバイクとかでカーキ色に凝った時期があって
今でもカーキ色の作務衣やジャケットコートなんかは便利に使ってるんだ。
なんかグリーン系って不思議な色で
鮮やかなグリーンからカーキまで幅が広い。
一言で語れない色だ。
季節で変わる自然の色だね。
2014年12月28日
2014年12月28日
老子 第十五章
老子 第十五章
昔はタオ(道)を知る大人物がたくさん居たそうである。
彼らは決して無理をしないから消耗しない。
安らかにくつろいでいるかと思えば
知らぬ間に動いて仕事を片付ける。
実に無駄が無い、自然の流れのよう。
実にビューティフルな生き方だ。
この世で一番美しいものは自然なるもの。
この世で一番醜いものは不自然なもの。
現在はタオ(道)を忘れた時代かもしれない。
思い出すにも何を思い出してよいのかさえ解らない。
タオなんて出世するのに何の役にも立たない
と思っているだろう。
世に出ようと策略する人間は小人物だ。
大人物は自然と世に出てしまうかもしれない。
しかしタオの大人物は出世なんて興味が無い。
そもそも自分の力を世に誇示することに何の意味があるのか?
タオの大人物はいつも自分でいられるのがただ嬉しい。
古いものを新しくして行くのがただ楽しい。
自然と共に生きていくのがただ愛しい。
2014年12月26日
老子 第十四章
老子 第十四章。
タオ(道)とは五感で確かめられるものではない。
タオが目に見えたり、触れられるものだったらみんなが納得するかもね。
人は目に見えないものを捕らえるには信仰のように信じるしかないと思っている。
しかし信じようが信じまいがそこに実在するものはどうしたらよい。
信じるだけなら実在しないものでも十分だ。
タオとは我々の中に生きている道だ。
それは誰にでもある道。
我々は一度きりの人生の道を歩んでいる。
我々は普段五感で認識できないものは忘れがちだ。
怪我や病気、苦難のときに追い込まれてやっと見つける程度だ。
それに五感で捕らえるものは移ろいやすい。
美味しそうな料理も明日には腐っている。
きれいな花もしおれ、人も年老いてゆく。
はたしてそれを本物の実在と呼べるであろうか?
タオ(道)とは五感で確かめられるものではない。
姿知れぬおぼろであり実在
無であり無限である。
2014年12月25日
特価より更に半額コーナー 2015 パワーストーンお年玉セール
本日から新年にかけて
期間限定で特価より更に半額のパワーストーンコーナーを増設しました。
ダルマが直接買い付けてきたヒマラヤ水晶や珍しい原石、楽しい原石など何と250円より。
普段の特価より更に半額ですから
すでに半額になっていたものはなんと四分の一です。
これからもセール対象石がどんどん増えていきますが
現在セール対象外の石も出来るだけ頑張っちゃいますので
この機会にお求めください。
セール期間は本日25日より新年一月中予定(なお12/29~1/5はお休みさせていただきます)
こころよりおまちしております。
ダルマ
2014年12月24日
老子 第十三章
老子 第十三章。
テーマは「他人の目・世間の目」
ほとんどの人が他人の目・世間の目を気にする。
それは社会人としての常識
自分を守ろうとしているつもり。
しかしそうしても自分を大切にはしていないはず。
他人の目に合わせて自分を曲げると
思った生き方が出来ない。
自分らしさが輝かない。
楽しくない。
他人の目・世間の目を気にする人は栄誉を重んじる。
栄誉とは世間の評価、
嘘でも悪でも証拠が無けりゃ偉人扱いなのだ。
それは自分本体を守っているのではない。
例えるなら洋服だ
人が着る栄誉を守っているのだ。
洋服は大切だけど中身はもっと大切でしょ。
洋服は中身を隠すことは出来る。
中身は道(タオ)とつながることが出来る。
自身(中身)を本当に大切にする人はものごとの本来をわきまえた人である。
真にわが身を貴べば、
くよくよしなくなるよきっと。
笑い飛ばせるよきっと。
2014年12月23日
マイウエディング ハッピーブライド占い2015
今年も早いもので
もう新年の雰囲気が漂ってきました。
みなさんも今年のやり残したことありませんか?
新年といえば占い
今年もマイウエディングの新年号に
ハッピーブライド占い2015で
見開き二ページのお仕事頂いてありがとうございました。
もうすぐ書店のブライダルコーナーにて発売しますので
LOVEに興味のある方ぜひ見てね。
年末から新年にかけては来年の運勢を好評鑑定中
電話073-447-1090
フェアライト ダルマまで予約入れてみて。
最初の30分四千円、延長10分千円です。
2014年12月22日
老子 第十二章
老子 第十二章です。
「刺激」がテーマ
刺激的な音楽や映像、酒や薬、グルメな料理など
人は外面の刺激だけを追い求め続けると最後は廃人になる。
人の感覚は、はかないものだ。
狂いやすく壊れやすい。
外面に対して内面がある。
内面の充実は一見地味だが、ふところが深い。
音に例えるならささやくような声(音無き音)
味に例えるなら素材のうまさ(自然の恵み)
色に例えるなら暗闇に揺れるロウソクの炎(魂の灯火)
外面の刺激は楽しい分だけ苦しい
内面の充実は一見何も起こらないが満ち足りてる。
外面の刺激は狂気だ
内面の充実は正気だ。
外面の刺激は破壊だ
内面の充実は再生だ。
外面と内面は陰と陽だ。
そのどちらも同時に存在する宇宙の贈り物だ。
要はバランスが大切ということ。
地球世界では適度な外面の刺激が内面を充実させるように出来ているのだから。
節度を持って外面の刺激と付き合うこと。
昨今流行の「泣ける」に始まり
要らぬ同情や取り越し苦労など
感情をむやみに刺激しないこと。
外面の刺激はオモチャじゃないのだから。
2014年12月20日
老子 第十一章
老子 第十一章は「無」について
「無」とは何だろう?
例えば数学と天文学は無(ゼロ)の観念に気付いてから急激に進歩した。
宇宙はほとんどが空間だから無(ゼロスペース)がたくさんある。
ゼロとは単なるゼロのほかに無限空間でもある。
その空間があるからこそ何かが入る。
コップや器と同じことだ。
その無(ゼロスペース)は大変役に立っている。
人は目に見える働きばかりを追い求め集めるが
それではいずれ身動きが取れなくなる。
例えば
立派な組織を作りたい一心で
高価な機材や頭の固い学者ばかりを詰め込んだビルを作っても
どれだけ社会の役に立つのだろうか?
よくドラマでも描かれるように
現代の政治や医療組織などが抱える問題点でもある。
人間が暮らす限りスペースは必要になってくる。
無とは余裕、平安
無とは空気、空間、宇宙
無とはエネルギー、精氣
老子曰く、
部屋の中のガラクタを整理して何も無い一区画を作ってごらん。
頭の中に無駄なこと色々詰め込むのを止めて空っぽですごしてごらん。
今あなたの中に幸運を受け取れる「無」のスペースはありますか?
2014年12月18日
老子 第十章
老子 第十章です。
今回は「玄徳」という、たぶん珍しい言葉です。
玄徳とは玄く(おく)にある深い力が働く道(タオ)とでも言いましょうか。
玄徳のコツ、「心身を自然と一体化する」なんて言葉では簡単ですが
行いは大変難しく思えるのではないでしょうか?
私がいつも仕事を終えてから帰る前に「一人終わりの会」で言っている言葉の一部をご紹介します。
「これは私の手柄ではない・・・・」
老子曰く、
熱心に働いた結果でも自分のしたことと自慢しない。
苦労して育てた子供も自分の所有物にしない。
出世して先頭に立っても彼らを支配しない。
「さすれば心と体は一体になり宇宙とつながる。
その精氣に満ちた柔らかさは無邪気な赤ん坊のようだ」
と言っていたかもしれない老子さん
しかし、これらは上に立つ人間の資質でもあるような気がします。
残念ながらその間逆が流行るこの世の中
ほとんどの御方が玄くにある深い力とは無縁の生活をしております。
我々が子供の頃に受けた教育は人を押しのける自己アピールの仕方であった。
社会に出てからは要領よく手柄をあげる方法を学んだ。
だから人の手柄を盗んでまで出世しようとする奴まで出てくる有様、
頑張って所有物を増やせ、
お偉くなって支配しろと。
これって悪魔の声だったんですか?
そして競争社会でみんな頑張ってきた。
気が付いたら幸せになっていますか?
それって宇宙と切り離されているんじゃない?
簡単に言えば運に見放されたってことよ。
上の老子の文章の逆を言うと
「さすれば心と体は別々になり宇宙に見離される
その精気を失った固さはまるで乾ききった死人のようだ」
残念ながら「玄徳」のような言葉はたぶん珍しい。
現代では死語と言っても良いくらいだ。
もっと心身の玄くにある力とつながろうよ。
そのためには?
もうヒントは届けたからね。
後は良く自分で考えて行動するのよ。
2014年12月17日
急がば回れ
「急がば回れ」って言うじゃない。
それって色々な意味に取れそうだ。
焦らないように落ち着くように戒めてたりする言葉だよね。
急いでるからくるくる回っている人もいるかもしれないけど
何事も急げば取りこぼす
例えば中身の無い人間が出世しても
結局は奈落の底へ落ちるための勢いをつけていたようなものだ。
高いところから落ちれば落ちるほど酷いことになるからね。
回り道のように見えても中身を充実させるための学び、経験、修行などをきっちりすることが結局は近道であり最善であると。
最近、中国の戦国時代の話を見ることが多い。
長い歴史の中で誰が最善の人生を生きたのであろうか?
きっと名も無い賢者が一番幸せに生きたような氣がするんだ。
私も経験あるけど人生で近道ばかり選んでいると
行き止まりが直ぐに来るよ。
遠回りを選んだら
いつまでたっても終着が見えないんだ。
これって楽しいよね。
これも「急がば回れ」かな?
2014年12月16日
老子 第九章
老子 第九章は「引き際」のお話
何事にも引き際がある。
まだ寿命が残っていようとケチな気持ちに苦しもうと
自分のやるべきことが終わったら
さっと幕を下ろして引くのが良い。
戦国の世でさえ、賢い戦の勝利は腹八分といわれた。
例えば
弓はいっぱいに絞れば後は放つのみ、それ以上絞れば折れるだけ
株も天井の次は暴落
鋭く研ぎすぎた刃物は折れやすい
金をため過ぎても次は奪われ失うのみ。
何でも程々を知るのは難しいが
引き際と見て引いてしまえば簡単だ。
年寄りがいつまでも社会の実権を握る世の中は進歩しない。
年をとれば外界への干渉はさっさと止めて
内側(自己)への旅に出るべきだ。
2014年12月15日
2014~2015年へ その二
さて2014~2015年へ その二です。
来年2015年はどのような年になるのでしょうか?
個人的なことではなく世間一般、世の中がどうなるかの話です。
2015年は収穫の年。
といってもどれだけの収穫があるのか疑問です。
もしかしたら今までの負の結果として
ウミ出しになる可能性もあります。
我々の全体意識はどのような種を蒔いて結果を育んできたのでしょうか?
例えば先日も総選挙が行われましたが
政治に関しては無関心な若者が多いと思います。
だから来年の政治には期待できない確立が高そうです。
これは政治家を育む土壌にも問題があるのかもしれません。
その土壌を浄化するために我々自身が政治に興味を持ち
家庭でも子供たちにしっかりとした社会教育をするべきではないでしょうか?
そうして何十年か後には新鮮な土壌で育まれた熱き若い政治家たちが育てば
日本の将来も楽しくなってくるのではないでしょうか?
景気についても、これまでどれだけの人がお金の心配をしてきたでしょうか?
恐ろしいことに人間はいくらでもケチになれます。
ある落語家がCMで「ケチとは自分の損得ばかり考えている人」とおっしゃっていました。
だからいくらお金を使っていても自分の損得ばかり考えて使う人は立派なケチなのです。
そういうケチは、企業を激安売りに追い込む、すぐに訴訟を起こすなど
自分を守るために相手を徹底的に損させます。
それでは企業も良い仕事を提供出来ず社会の発展も望めません。
景気はお互い様の法則なのです。
相手の仕事に対して見合う対価を払い
その対価は再び社会に還元されていきます。
例えば主婦が上記のようなケチをしていると社会が不景気になりダンナの会社も衰退し給料も減る。
仕方が無いのでさらにケチになると・・・・・
ここ何十年はその繰り返しでした。
自分だけなら大丈夫、自分だけ助かろうと思う気持ちが何十年も・・・
気付けばみんなで自分の首を絞める結果になっている。
未だにこの繰り返しから抜け出せない社会は病んでいるのです。
もちろん無意識に病んでいるから大人たちには何を言っても解ってくれません。
次の時代の子供たちへは伝染しないように守ってあげなけりゃいけません。
彼らには広い視野を持つためにまず世界を現実的に見てほしいです。
そして自分の内側がそれ以上に広いことにも気付いてほしいです。
2014年12月14日
老子 第八章
老子 第八章です。
天と地はタオ(道)の在り方の例えとすれば
水はタオ(道)の働きの例えだ。
水は全てのものを生かし養う。
低いところへ率先して流れ、それを満たす。
やがて川となり海に注ぎ
大きな海は生命の母、また雲となり山の頂まで潤す。
その自然的善行の繰り返しは永遠につづく。
しかも水は何も誇らないし
争わないから誰からも非難されない。
だから
ただ自然的に働きを繰り返せば我々もそのような人間で在れるはずだ。
2014年12月13日
2014~2015年へ その一
来年は2015年、その前に今年2014年から振り返ってみましょう。
まだまだ間に合う2014です
今年も世間では色々ありました。
皆様はいかがでしたか?
今年2014年、世間一般の周期的には振り返って反省などするのによいです。
振り返る期間は今年一年だけじゃなくここ十年ほどのことです。
まだの方はあと二週間以上ありますから試してみてね。
あとは冷静に過ごすことです。
年末も気持ちが何かとばたばたしますが
特に今年2014年は冷静に考えましょう。
これは世間一般な話で
個人的にはもっと他のことも気をつけなければいけませんが
全て書けないので
是非、来年の運勢と合わせて個人鑑定にもお越しくださいね。
個人鑑定・占いは 最初の30分四千円(10分延長千円)
年内12月28日・日曜日まで通常営業しております。
新年は1月6日・火曜日から。
電話 073-447-1090
フェアライト ダルマまで
2014年12月12日
老子 第七章
老子 第七章ぼちぼち行ってみます。
「天と地の在り方をよくわかっている人は
争って先に立とうとしない」
きっと天と地、それ自体は生きようとも思っていないだろう。
それらは自然と生きている。
だから永遠なのだ。
人とて同じこと、だから自然と生きるものの魂は永遠のはず。
もし貴方が争ったり、無理に人の先に立とうとするなら
ろくなことが無いはず。
反対に競争の外に身をおけば無理しないから身体も長持ちする。
物事は我を張らず一番後ろから着いて行くくらいがちょうど良い。
何事もお先にどうぞなら事故も起こらない
抜かしたい人には道を譲り
風当たりの緩い後方のポジションでゆっくり人生を楽しもうよ。
骨折り損のくたびれ儲け
なんて言葉もあるよね。
不自然な生き方の方々、ご苦労様です。
2014年12月11日
諦めない人生のススメ
諦めない人生
「あきらめない」=「しつこい」みたいで
かっこ悪いように取られるクールな時代。
人でも物でも使い捨て、食品は他国に作らせ金で買えばよい
その金がほしけりゃパソコンで家にいながらチョチョイのチョイ
日本の国はいつからこうなったの?
もちろんチョチョイのチョイなんてできる奴はほんの一握りなのに
若者が真に受けて殺到している。
その反面大切な農地はどんどん減っていき、山も崩され海は埋められる。
この先の未来なんて予想するまでも無い。
ひとつ忘れてはいけないこと
何を成すにも膨大な時間がかかるんだ。
昨日崩された山が出来るには何億年もかかったかも知れない。
農地なんかでも作物が作れるようになるには長い年月がかかるんだ。
だから人生の必殺技は「諦めないこと」
人生は時間をかければかけるほど完成に近づいていくんだ。
でも年功序列じゃないからただ長く生きても駄目
諦めずに続けなきゃね。
何かを始めたら諦めずに続けようよ。
かっこ悪くても上等じゃない
友達にまだやってるの?って笑われたってへっちゃらよ。
子供の頃の夢が中年になったって老人になったって
自分の中で光り輝いていたら
あなたの目はまだ死んでないはず。
生き生き生きている、楽しく生きている人って諦めないのが得意なのよ。
2014年12月10日
老子 第六章
老子 第六章
中国では大陸という地形上、日本ではあまり見られない雄大な自然のたたずまいが見られる。
歴史上の戦いも地の利を知り、優位を取ったものが勝利した、自然は神とさえ例えられた。
第六章で書かれている谷という地形
中国では地球の裂け目に例えるほど雄大だ。
谷からは水が沸き、雲が起こり、氣が噴出す。
まさに母なるもの、創造力の源泉と言っても良いだろう。
それに比べて我々は詰まり過ぎている。
常に頭の中に何かを詰め込もうと必死だ。
ネット、テレビのニュースや週刊誌の記事
日々興味は絶えない。
町では嘘や噂話で持ちきり
みんなが言っていたから間違いない
みんなが言っていたから間違っても責任は無い
みんなが言っていたけど役に立たない情報。
でも肝心なことは直ぐに忘れる。
災害、事件・・・・にも賞味期限があるようだ
そして、又新しいゴシップを詰め込むために必死だ。
人は頭の中がいつもガラクタで詰まり過ぎていると安心する。
老子は言う
うつろなもの(空っぽ)こそ無限の創造力を持つ。
女性の子宮も空間があるから生命を育めるのだと。
谷が何かガラクタを詰め込もうとしたか?
母なるものはうつろだ。
天地の根源、永遠のものは我々が空っぽのときにやってくる。
だから焦って頭の中をつまらないもので満たさずに待とうよ。
たまには雑音(テレビや噂話)を消して耳を澄まそうよ。
頭の良い人とは頭を空っぽに出来る人だ。
だからいつも身軽で臨機応変に動ける。
人の話も聞ける、学べる、理解して使える。
我々は詰まりすぎている。
しかし谷(母なるもの)はいつもうつろ(空っぽ)だ。