2015年01月23日

老子 第二十三章 「あるがままに」


「あるがままに」とは意外と難しいものだ。
それは、在るものに干渉しないこととも解釈できる。

我々は条件が整えば直ぐに何でも干渉したがる
他人の不幸を安全な場所で観たい。
うわさ話に耳を傾けてしまう。
多数派に付けばさらに勇気百倍で
弱い立場の場所へ石を投げ込むこともできる。
自然破壊が進めば動物たちのテリトリーにまで土足で干渉する。
今の社会はそんな卑怯な干渉が当たり前のようになった。
逆に困っている人が目の前にいても干渉しない。
自分が危険な状態のときも無責任に他人のせいにする。
それが社会の「あるがまま」になってしまった。

老子(タオ)の「あるがまま」はどうだろう?
宇宙は宇宙として
自然は自然として認め
失敗は失敗として受け入れ
徳は徳として
道は道としてあるがままだ。

タオの「あるがまま」の人は物事を捻じ曲げない
干渉しないのが一番の道だと知っているから。

どんな嵐も直ぐに去るから
集団心理で暴力や悪事を働いて人を傷つけることも必要ない。
他人の不幸を知る必要も無く
うわさ話なんて何の役にも立たない。
目先の利益でわざわざ自然を破壊することは大きな損失だ。
逆に困っている人が目の前にいれば助けるのが自然だし。
自分が危険な時は自分のこととして十分な力を発揮できる。

タオの「あるがまま」は宇宙の営みだ。
宇宙はそういう人を応援してくれる。