2015年01月29日

「根っこのお話」   老子 第二十六章


今日は根っこのお話です。

最近の若者も年寄りも
それ以外の年齢の人も何か軽くなったと思いませんか?
それはカッコイイのか?明るいのか?
薄情や無責任なのか?流行なのか?
よくわかりませんが
逆にくそ真面目で重い人間が
嫌われるご時勢なのは間違いありません。

しかし自然界では
重いものが軽いものを支えています。
まるで根っこのように土に張りめぐらされ
軽い葉っぱや花を支えています。

社会が軽い人間であふれれば
支える人間がいなくなります。

例えば
仕事なんて金さえ稼げればよいから
いい歳してもフリーターで十分と
ついでに年金も税金も大嫌い。
当然責任持たされるのも大嫌いだから
仕事を通して学びの積み重ねもしない
そんなのを自由だと履き違えている。

それは自由じゃなく軽いだけなのよ。
軽い人間は誰かに支え続けられないと
生きてはいけないの。
でもこのままいけば
この先誰が支えるのでしょうか?

ひとつだけヒントを伝えれば
今の流行の軽い価値観は
逃げの価値観なの。
カッコイイのじゃなく
かっこ悪くなりたくないだけなの。

泥だらけになって
地道に努力する姿を
カッコ悪いというのは
その先の光が見えていないだけよ。

軽い人間は
真剣で真面目に努力する
重い人間を暗いと茶化すが
実際には軽い人間のほうが
心の奥に不安を抱えていて苦しいはず。


最後にタオの奥義をひとつ。

「静は動を支配する」

これは根っこの人間として積み重ね、
人を支える人間に成る為の日々の心構えだ。

世間でつまらないドンチャン騒ぎがあっても
決して騒がず「静」の中にいること。

例えば
積み木を高く積むときに貴方は騒ぎます?
静かに息を潜めるでしょ。
大騒ぎしている人は積み木を崩してしまった状態なのよ。