2016年12月25日

クリスマス


ついにやってきました
クリスマス本番ですが

週末のイブのあとの
日曜日ともなれば
二日酔いの人も
多いのではないでしょうか?(笑)

キリストさんは
今日お生まれになったのですよね?

日本ではクリスマスイブで
酒盛りがピークですよね。

海外でもそうかな?

さてキリストさんにちなんだお話を一つ
と言っても僕はキリスト教徒じゃないから
そのような専門的なお話ではないから
勘弁して頂戴(笑)

さて今日は、「自己犠牲」のテーマで
書いてみます。

何故かというと
自己犠牲とキリストさんは、
僕のイメージの中では
結構イコールの関係です。

そして、我々は、
キリストじゃないから
我々なりに
自己犠牲するとすれば
「断念する」と言う言葉が
ぴったりなような気がします。

自己犠牲というと
何が何でも
誰かの為に行動するのが美しいのか?
また、
自分ばかり損なイメージがするかも?
でも
実際には
自己犠牲することで
我々は軽く成れるのよ。

もちろん、
強い価値観としての
自己犠牲は
別の問題にしておいてね。

例えば
我々が
ちょっとこだわりを
断念できれば
どれだけの余裕が
もたらせるのでしょうか?

それも
実は自己犠牲の結果なの。

その反対に
達成しよう
コンプリートしようと
言う気持ちは
モチベーションが上がるけど
なんか空回りしていませんか?

何かに熱中するのも
良いことかもしれないけど
どこかで対象が終点なら
寂しいよね。

だから、
あえて
貴方の完璧主義を
失敗させるのよ。
断念させるのよ。

そして、
程よい成功を
手に入れるわけ。

昔の
皇帝は、
戦でも
程々と言ったのよ。

お互いが
全滅しないうちに
兵を引いたのよ。

そして、
何事もなかったように
帰っていくわけ。

だから、
明日があるの

お互いが
気が済むまで徹底的に戦ったら
一面焼け野原で
滅亡よ。

だから、
我々は
完璧を目指して
その完璧を断念して
明日を作ってきたわけ。

それでも
少しずつは
進化していくわけだから
滅亡より
素晴らしいよね。

本来の
自己犠牲とは
そのようなものなのよ。

この微妙なニュアンスを
受け取れた人は
未来を切り開くかもよ。







ダルマ

フェアライト

073-447-1090