2017年03月31日
明日から四月
皆様いつもありがとうございます。
さていよいよ明日から
四月がやってきます。
人生も老子さんも(笑)
新学期です。
ここ二年ほどは
特に新規の
クライアントさんが
以前とは
ケタ違いに
ご来店いただいております。
ありがとうございます。
しかも、
物質界では
広告はほとんど
出していない状況なのに?(笑)
独立開業してから
17年ほどになりますが
このようなことは
未だかつてなかったと思います。
そして
このような好調な時だからこそ
僕はあまり調子に乗らずに
誠実にバランスよく
すすめないといけないと
思うわけです。
何度も言い聞かせています(笑)
今の僕はたぶん地味地道ですが
今から思えば
輝かしい時代もありました(笑)
まあ、だれでも
その様な輝かしい時代は
あるかもしれません。
でも人生の本道とは
むしろ輝かしくない
地道にあるように
僕は思うわけです。
このような話
ほとんどの人が
死んでからでないと
受け入れないかもしれませんが(笑)
まあ
騙されたと思って
地味地道な道をゆっくりしっかり
お行きなさいと
老子さんも言っておられました(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月30日
老子と三島由紀夫
今年の正月早々のことである。
1/12の新聞の第一面に
三島由紀夫の記事が載っていた。
自決の何カ月か前の
対談録音が出てきたという。
それは、今なぜ出てきて
これほどまでに
大騒ぎされるのだろうか?
録音が1970年のことだから
既に50年近くたったことになる。
例えば
音楽の版権も50年くらいらしいから
半世紀で何かが終わることも
多いのかもしれない。
三島由紀夫は戦後の日本人の
一つの側面の象徴だったと思う。
彼は「戦後日本では偽善がひどくなった」と
語っていたそうです。
しかし、
老子の立場で見れば
戦後は
「偽善」が必用だったと言うことです。
敗戦国日本が生き残り
しかも大復興するためには
この「偽善」が
キーワードだったのかも
しれません。
いったい何を言っているのか
解らない人も多いかもしれません。
それが(解らないようにされる)
「偽善」の体感なのです。
我々は
自らが偽善者だということさえ
解らなく麻痺させられています。
そうです
偽善とは麻痺のことです。
自己欺瞞とも言いますよね。
さて
我々は弱いとき
麻痺などを
することによってのみ
生き延びるのです。
とりあえず
生き延びれれば
何とか明日も
あるかもしれません。
そして、
少しずつ強くなりながら
生き抜いていくのです。
しかし、
三島さんは何故か
急いでいました。
麻痺できないから
最終的に自決という
死を選ぶしか
なかったのかもしれません。
しかし、
全ての日本人が
偽善(麻痺化)を捨て
三島さんと共に死を
選んでいたとしたら
どうでしょうか?
実際敗戦時に
せっかく生き延びたのに
天皇陛下に命を捧て
自決した人が
多かったという話も聞きます。
そして、仲間と一緒に
自決できなかったものを
非難する声さえあったのです。
我々が覚醒するとは
ある意味恐ろしいことです。
いつか我々が
麻痺を終わらせていくとすれば
このような記事が
新聞の一面に
出ることが
驚きなのです。
そろそろ麻痺を終わらせる人が
出てきたのかもしれないのです。
そうなると
今まで必要だった麻痺が
反転します。
麻痺すること
偽善が悪になるのです。
偽善や麻痺で生き延びることが
ある意味無意味になります。
50年前三島由紀夫が
命を捨ててまで
言っていたことが
質感を変えてやってくるのです。
このような記事が
新聞の一面に
出るのことが
驚きなのです。
と
老子も言っていました。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月29日
老子の思考
「我々は自ら思考していない」と老子は言う。
そんなわけないですよね?
皆さんも日々思考していますよね?
「我々は自ら思考しているのではなく
思考させられているのだ」と老子は言う。
そんなわけないですよね?
皆さんも日々思考していますよね?
「我々は日々何かを
見て感じて
刺激を受けて
結果的に思考させられている
それはただ何かに反応しているだけだ」と老子は言う。
そんなわけないですよね???
皆さんも日々思考させられていますよね。
あれ???(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月28日
老子の語る「地味地道」
皆様は「地味地道」という言葉に
どのような反応をするでしょうか?
嫌なイメージや
貧乏くさいとか(笑)
逆に強さや
信頼できる存在のような
イメージを抱く人も
いるかもしれません。
僕も以前は「地味」が
貧乏くさくて嫌いでした(笑)
しかし
「地道」に生きることは
良い価値観として
実践していました。
しかししかし
地味と地道はある意味
ペアーなのです。
地道に生きていると
地味になってしまいます。
地味に生きていると
何故か地道に生きられます。
地味について
イメージの再検証が
必要かもしれません。
貧乏臭さというよりも
シンプルとか
スタンダード
もっと進むと
ナチュラルなのかもしれません。
地道に生える草木や水、大地や大気など
大自然のすべてに関わる
それらが地味の本質ではないでしょうか?
老子は自ら発する自然そのものに
かくれてしまって
まるで存在感が
無いように地味なのです。
しかし彼は、
どの大自然の影響を
受けることもありません。
どの風にも
嵐にも
地震でさえも
彼をなぎ倒すことができません。
彼自身が
自立する自然界だからです。
「地味地道」に生きると
最終的には
このように成りますよと言うのが
老子という象徴なのです。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月27日
老子が語る自己犠牲のススメ
自己犠牲とは
そもそも何なのでしょうか?
実は、我々は、
気付かないうちにも
自己犠牲をしています。
子供を育てることも
親にとっては
自己犠牲かも知れないし
もっと広い集合意識から見ると
病気にかかることも
実は誰かの何かを
背負ってあげています。
このように
我々は
持ちつ持たれつの関係です。
さて
老子が語る
自己犠牲とは
進化するための
自己犠牲です。
断念するという言葉が
近いかもしれません。
貴方にとって
愛着のあるもの
依存しているものを
自ら強い意志をもって
少しだけ手放してみるのです。
それは、広い視野でみると
結果的に誰かのためになっています。
例えば
今まで
自己否定で
生きてきた人が
強くなると
自己犠牲に
変わることがあります。
そうやって我々人間は
成長することによって
世の中を支えてきたのです。
自己犠牲という
美しい言葉に
惑わされずに
本質を突いた
自己犠牲を
それは、
ある意味
地味地道な自己犠牲が
出来れば
良いのですがと
老子も言っておられました。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月26日
老子の制限
もしあなたに
何の「制限」もなかったら
どのように生きるでしょうか?
お金の「制限」もない状態です。
まるで宝くじの高額に当たったように
考えてみてはいかがでしょうか?
このようにして
色々考えてみると
意外と物理的に可能なことに
自ら制限をかけていることに
気付くかもしれません。
例えば
貯金を全額降ろせば
買えるものを
一生買わずに我慢する。
それによって
チャンスが奪われても
貯金を優先するのです。
最終的に
貯金は相続され
税金が支払われます。
そしてその相続者も
誰かに相続し
税金が支払われます。
全ては
「制限」のためです。
もしあなたに
何の「制限」もなかったら
どのように生きるのでしょうか?
たぶん何の「制限」もなければ
まともに生きられないのが
ほとんどの現実かも知れません。
なのに
夢を叶えれないのを
「制限」のせいにします。
「制限」は貴方を守ってくれているのに。
実際夢をかなえる人は
制限のない
恵まれた
環境ではなく
過度の制限
逆境の中から
出現します。
老子の制限とは
これいかに?です(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月25日
老子の変化
人間は潜在的に
「変化」を恐怖します。
しかし、反面
変化できないと苦しい
なのに変化できない
プールの飛び込み台で
怖くて飛び込めずに
ぶら下がっているのが
我々人間です。
さて
どうして
飛び込み(変化)が
怖いのでしょうか?
それは
潜在的(無意識)に
死を連想するからかもしれません。
それ以前に
変化するとは
古いものを自ら捨てる(殺す)
覚悟が必用だからという
考え方もあります。
変化自体が
無意識に死を連想させ
しかも
それを
自ら古い自分を
捨てなきゃならない
全部捨てなきゃならない
やはり殺すのね(笑)
絶対変化できませんよね(笑)
だから、
人間は潜在的に
「変化」を恐怖します。
これだけは根性で
乗り切れるものでもありません。
なぜなら
無謀な自殺的行為は
根本変化ではないからです。
結局このあたりは、
皆様が納得して
自然と
変わっていくしかありません。
ダルマの
占いコーチングARSや
ARSセミナーは、
自然変化をもたらすために
開発されました。
ということです(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
占いコーチングARS
最初の三十分四千円
十分延長に付き千円
2017年03月24日
老子が見た「嫌いな人」とは?
貴方にとって「嫌いな人」とは?
信じられないでしょうが
それが貴方にとって
理想の貴方なのです。
貴方の真の姿なのです。
だから、
絶対になりたくないと思っている
理想の姿です。
でもそうなれたらどんなに楽でしょうか?
なんて
無意識には思っています。
だから、潜在意識が反発します。
貴方にとって
とっても「嫌いな人」なのです。
老子は「嫌いな人」をただ見ています。
好きでも嫌いでもありません。
だから、
嫌いな人でもないかもしれませんが
あえて説明のため
人間の感情で例え
「嫌いな人」と定義づけマス。
我々は嫌いな自分が嘘をついて
何とか生きているようなものです。
基本的に偽善者なのです。
自分のことを好きになれないのは
ある意味自然状態かも知れません。
だから、好きにならなくてよいのです。
嫌いな自分が
真の姿
理想の姿だと気付くことさえできれば
ますます嫌いになりそうです(笑)
普通の意識では収拾付きません(笑)
でもこのことに
気付いていた方が楽なのは確かです。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月23日
老子が問う「過不足」
この世には様々なものが
不足している。
その反面
様々物が
余っている。
そして、
それら過不足を
合わせると
丁度よくなるのである。
不思議な状態だ
不足と余っているのが
同じ量なのだから
自然界では
その過不足は、
隣同士で起きる
当たり前だが
同一上には、
存在しないのだ。
これが老子の問う「過不足」だ
だから、
深い谷と山脈のような
隣同士の
過不足が発生する。
しかし、
山を崩して
谷を埋めるとどうなるか?
それは、自然破壊だ。
きっと、動植物は
生存できなくなるだろう。
そして、ついには、
人間もいなくなるかもしれない。
自然の過不足とは不思議な状態だ
人間から見るとだが・・・・・
ダルマ
フェアライト
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2017年03月22日
老子のモテ講座
占いコーチングに来る
クライアントさんは
意外と男性も多いのです。
そして、
その男性クライアントさんたちが
切望するのが「女の子にモテたい」ということ。
昨今の男子を
草食系とか称しますが
実は肉食系だと思います。
やはり草は美味しくないのです。
本当は肉を食べたいのです。
しかし、何故か草を食べることになります。
何故なら肉は逃げるからです(笑)
生きているからです。
生身の生き物ですから。
モテない男の子にとっての
最大の恐怖は
女の子が
生きている(生身な)ことなのです。
自分のお母さんのように
思うとおりにならない
生きた女子とは?
草食男子にとって苦しみ以外の
何物でもありません。
実はこれは昔から何も変わっていません。
昔の方がもっとひどかったくらいです。
昔は姑が嫁を
常識で抑え込んで
世間が一丸となり
草食男子の捕食を支えてきました。
大昔のお父さんは
自分でお茶を入れません
入れられません
話すのが苦手で
すぐに手を出します。
育児や台所に入るのが怖いから
入っては恥だと言い放ちます。
こんな男モテるわけがない?(笑)
とにかく男が
怖いものから逃げるために
正当化してきたのが
旧体制の男性社会だったのです。
会社で女性が出世できないのも
女性に仕事を取られたくないからです。
当時の男性は能力的には
超草食動物でした。
だから国家ぐるみで守られていたのです。
だから、
現在の草食男子たち
希望を持ってください(笑)
貴方たちは
新しい社会へ放り出された
勇気ある種族なのです。
もう国家も常識も
守ってくれません。
近所の世話焼きおばちゃんも
絶滅しました(笑)
だから、
進化するしかないのです。
そういう時期が来たのです。
自らの力で
本物の愛を手に入れる時代が
ついにやってきました。
良かったですね。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月21日
老子の意識「ある・ない」
我々は
意識を向けたものに
エナジーが流れるようにできている。
例えば物欲について書いてみよう。
欲しいものが「ある・ない」
「ある・ない」は
世間での物流において
重要な選択意識だ。
世間一般に流行が起こり
欲しいものが「ある」と
物が売れて経済は豊かになり
逆に欲しいものが「ない」と
物が売れずに景気が停滞する。
それとは少し角度を変えて考えてみると
我々は物欲として
欲しいものはあるが
しっかり見てみると
既に全て持っているとしよう。
いや、
実際に我々は
生まれたときから
すべて持っているのだ。
生まれる環境を設定して
生まれてきたということだ。
そして、
生きていくために
経済も大切だから
景気が停滞しないように
物欲以外で考えてみよう。
すると世間は進化して
物流ではなく
景気を
非物質(意識・エナジー)に置き換える
世の中になるはずだ。
これが意識の変化である。
簡単に言うと我々が
目に見えるものばかりで
幸せを評価している限り
終わりがないし
もし終わってしまうと
寂しい結果になるのだ。
昔あったバブル経済を体験した人は
少しは其のあたりを学んだのじゃないかな?
物での評価を止めるとなると
精神や意識での豊かさということになると思う。
もちろん必要最低限な物は
溢れているという設定でだ。
我々が「ない」ことに意識を向けている限り
何も無いのだ。
だから、「ある」ことに意識を向けよう。
全てはあるのだ。
我々は
意識を向けたものに
エナジーが流れるようにできている。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月20日
老子の歌が聞こえますか?
ところで老子の歌って何?
たぶん老子は歌わないし(笑)
だから、
老子の歌とは
「声無き声」のようなものです。
普段は雑踏に消されて聞こえませんが
例えば
真夜中に一人ぼっちで
お酒を飲んでいるとどうでしょうか
老子の歌が聞こえてくるのです(笑)
要するに自然の音や
心の安らぎの声です。
普段我々は
心が忙しすぎて
うるさすぎて
雑音を拝聴して生きています。
それは、
現代文明の特徴かもしれませんが
自ら、平安な自我を取り戻せば
雑音は小さくなるのです。
例えば
人間関係でイライラしているとき
お金などの心配事でパニクっているとき
仕事とかで何かを強要されて
自分を見失っているとき
大きなケガや病気のときなど・・・・
その様な状態では
雑音だらけで
絶望しているかもしれませんが
落ち着いてよく見てみると
執行猶予期間があるのです。
人間は
どんなに絶望しても
今すぐ一瞬で死ぬわけではないからです。
そのまだ生きている期間(一瞬)に気付けば
まだまだエナジーを取り戻せます。
ピンチをチャンスに出来るのです。
その様な進化人は
老子の歌を聴いていると思います。
自然の音や
心の安らぎの声が聞こえるのです。
人生において
その声を
聞こえるか聞かないか
この差が大きいのです。
幸不幸の境目は
ここにあると言っても良いくらいです。
不幸になるためにはもちろん絶望が必要で
幸せになるにも絶望が必要かもしれません。
絶望の中で
老子の歌を聴くか
悪魔のささやきを聞くかで
明暗が分かれるということです。
だから、普段から自我を強化しておかないと
いざというときに役に立たないということを
何度も申してまいりました。
僕のセミナーが
自我の強化や純化トレーニングを
伝授し続けてきたのもそのためです。
老子の歌が聞こえますか?
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月19日
老子の歌
最近歌いましたか?
人間が歌うようになったのは
いつ頃からでしょうか?
どうして歌うのでしょうか?
たぶん
歌の前にリズムがありました。
人類の発祥地は
西アフリカとも
言われていますが
今でもアフリカには
様々なリズムが
伝承されています。
アフリカのリズムは
日本固有の
農耕リズムとは違い
ハネねています。
人類はハネるところから
歌い始めたのかもしれません。
ジャズでは
スウィングと呼びます。
黒人で初期のジャズボーカルを
生み出したと言われている
ルイアームストロングや
ビリーホリディなどは
独特のスウィングをします。
歌というよりまるで楽器ですね。
歌詞というより自然音です。
雨風や雷、大地の響き・・・・・・
それらが自然の神と
言われていた時代に
神との対話をしていたの
かもしれません。
歌は神との対話なのです。
最近歌いましたか?
神と対話しましたか?
ダルマ フェアライト
073-447-1090
2017年03月18日
老子の心「シンプル・イズ・ベスト」
老子はシンプルだ。
身軽だ
全てを手放している。
その逆に日々我々は、
何かを得ようとする
守ろうとする
身動きが取れない。
さてこう考えてみてはいかがだろうか?
我々が何かを得ようとするのは
手放すためにだと。
何かを手放すためには
まず何かを得ないといけないからだ。
大切なものを手放して
更に大切なものを得る
それをステップアップという。
要らないものを手放すのは
悪いことではないが
それで何か素晴らしいものを
得ようなんて
図々しいと思わないか?
普通はそのような手放しは
ステップダウンしていく。
だから老子と違い
我々普通の人間は
まず得ることだ。
努力するべきだ
成し遂げることだ。
そして、
それを手放す
その資金(エナジー)で
ステップアップを
買うのだ。
そして、最後にすべてを捨てて
最も大切なものを
手に入れる人が
老子なのかもしれない。
老子はシンプルだ
身軽だ
全てを手放している。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月17日
2017年03月17日
老子の器「大器晩成」
宝くじの高額当選で
八割以上の人が
最終的には不幸になるという。
なぜだろうか?
もちろん理由は
誰もが解っているし
想像もつくだろう。
では、
なぜわざわざ
不幸になるために
宝くじを買うのだろうか?
さて、順を追って話してみよう。
幸せな金持ちには
幸せな金持ちの器がある。
それは、自ら持つものだ。
器を持たないものが
水を満たそうとしても
こぼれていく一方
時には水が多すぎて
溺れてしまうのだ。
だから、宝くじが当たって
幸せになった極わずかな人は
幸せの金持の器を
持っていたことになる。
それは、必要なだけ
お金を回せる力でもある。
だから、
宝くじなんて買わなくとも
お金はあるのだ(笑)
ここが宝くじの矛盾なのだ(笑)
宝くじに高額当選して
幸せになれる人は
元々幸せなお金持ちなのだ。
だから、
器のない人が夢を見て
高額当選するのは
ある意味事故なのだ。
では、
なぜわざわざ
不幸になるために
宝くじを買うのだろうか?
最初の問いに戻った(笑)
それは、夢だからだ
確率が低いからだ
ある意味
安全だからだ。
潜在意識下では
そう思っている。
だから買えるのだ。
もし貴方がタイムトラベラーで
当たり券の存在を調べていて
絶対に高額が当たると解っていたら
怖いよね。
怖くない?(笑)
本当に怖いから(笑)
こんなことことありえないと
思っているから
「タイムマシーンでもあったらなあ」と
思うだけよ(笑)
だから我々は
自分の器以上のものを
願い続けるのよ。
それは夢だから
確率が低いからだ
ある意味
安全だからだ。
そして、
時々事故が起こるわけ(笑)
だから、
器は自ら持つものだ。
そして、
誰もが覚悟して持てるものだ。
しかし、
大きな器を持つということは
大きな責任も伴う。
それが集合意識のシステムだ。
老子の言う
「大器晩成」という
言葉は、
本物の大人物は、
若いころは
目立たず、
徐々に実力を
養っていって
後に大成する
しかも
ひっそりと(笑)
という意味らしい。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月16日
老子の見方「人生とは服のサイズのようだ」
老子が言います(笑)
「人生とは服のサイズのようだ」
例えば子供のころ
どんどん服のサイズは大きくなります。
それと共に中身も成長しますよね。
そして環境も変わっていきます。
大人になって
服のサイズはあまり変わらなくなりますが
太ることはあるかもしれませんが(笑)
まあ、服のサイズは
単なる環境の例えですから(笑)
その後も環境は刻一刻と
変わり続けます。
環境は
貴方に合わせた
オーダーメイドの
服のようなものなのです。
大きすぎることもなく
小さすぎることもありません。
要するに
貴方の状況(中身)が
環境を着て歩いているのです。
だから、
貴方の状況が変化すると
環境も変わりますよね。
それは、
まるで服のサイズが変わったように
今までの古い服(環境)は、
着られなくなります。
不思議ですよね
当たり前のことなのに
「普通はこの辺りに気付けない」と
老子は申しております(笑)
「もういいかげん
環境のせいにするのは
止めにしませんか?
実は気付いていますよね?」
と老子は申しております(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月15日
老子が語る「昇龍・降龍」
昨年の末ごろに
名古屋から全国展開している有名珈琲店が
和歌山の珈琲店を訴えて勝った事件があった。
今日は、それがどうという話ではない。
その和歌山の珈琲店を経営しているのが
和歌山では有力な会社だ。
良くは知らないが
全国的に大ヒットした
芸能事務所での成功を機に
飲食業へと乗り出したのかもしれない。
さて老子は語る
その様な飛ぶ鳥を落とす勢いを
昇龍と例えることがあるが
実は昇龍と降龍は、
セットなのだと。
しかも昇った後
降りる落ちるのではなく
昇りながら
同時に降り落ちているのだと。
例えば
人気が出てお金が沢山入ってくると
同時に健康面や
人間性が下落していることもある。
健康や人間性は
本来お金よりも大切なはずなのに
それなら
落ちているのか
登っているのか
訳が分からないということだ。
エナジー的には
昇龍と降龍は、グルグル回り
渦のような体制を取っている。
その渦の中で我々は生きている。
渦の影響から外れている人
昇りながら降りていく人
様々だ。
だから、昇りながら降りていくのを感じることだ。
降りながら昇っているのも感じることだ。
あるがままを
人生は
みんなが言うようなもの(一方的)では
無いと
老子は言う。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月14日
老子の心理学「体裁を整える価値観」
「体裁(ていさい)を整える価値観」
我々は「人から良く見られたい」とか
「こう見られたい」みたいなことを
無意識に
考えてしまいます。
「体裁」とはいったい
何でしょうか?老子さん(笑)
実は老子にも「体裁」があります。
無さそうですが(笑)
どういうことかというと
もし老子が宇宙人で
体裁のような
価値観がないとしても
彼が地球人と関わる限り
体裁があるのです。
そうです
「他人の体裁は
自分の体裁」なのです。
ここが重要なのです。
貴方がいくら体裁を気にしないような人でも
みんなが体裁を気にする限り
体裁から逃れることは出来ません。
20年以上前に
こんなことがありました。
ちょうど僕が証券マンを辞めて
長い旅をしていた時期です。
当時の僕は自由で体裁なんて
気にしない状況でした。
その旅の姿も正に旅人で
髭だらけで
服装もジーンズに軽装でした。
気の向くままの旅なので
急に東京に来てしまいましたが
クリスマスシーズンだというのに
事前にホテルも取っていない状態です。
あえて
ちょっと豪華なホテルでもと
泊めてくれるか試すつもりで
捜してみましたが
何軒かのホテルでは
空き室があるのにもかかわらず
断り続けられたのです。
そうです。
やはり体裁です。
髭だらけの旅人(笑)
テロリストか何かだと
思ったのかもしれません(笑)
最近は無くなりましたが
僕は飛行機に乗るときも
いつも止められ特別に検査されるので
当時よく一緒に旅に行った友達は
それを楽しみにしていました(笑)
結局、ホテルでは
何十万か補償金を入れることで
泊めてくれるところが見つかりました(笑)
クリスマスシーズンでカップルも多く
彼らは正装で体裁は整ってました。
親の金で泊まっていても
体裁は整っています(笑)
さて体裁とは何でしょうか?
体裁とは集合意識の価値観です。
貴方が
その集合意識に属する限り
体裁がセットです。
例えば
社会人には
社会人の体裁があります。
それがいくら茶番だと思おうが
演じ続けるしかありません。
社会人らしくですね。
だから、
逆に
我々が他人の価値観を
受け入れられなくなったとき
その人が属する集合意識から
締め出されるのです。
例えば
自立のできない状態や
引きこもり
自律神経失調症など
ある意味
集合意識から
締め出されている状態で
エナジーが枯渇しているのです。
ちょっと難しくて
大切なお話でした。
ダルマ
フェアライト
073-447-1090
2017年03月13日
さて老子の心理学とは?
今更ながら
老子の心理学とは
なんじゃろか?(笑)
それは、おおよそ、
常識を飲み込んで
しまうものである。
老子の展開する宇宙は
果てしない。
皆様もご存じのように
人間なんてちっぽけなものだ。
ただよほどのことがない限り
我々は自身がちっぽけだなんて
意識できないだけだ
意識したくないだけだ。
だから、わざわざ老子の心理学なんて
この世の人間は受け入れたくない。
我々は、
真の姿をさらしたくないのだ。
しかし、だからと言って
幻のまま我々が生きていくのが
幸せなのだろうか?
幻を幸せと思って生きていると
幻の幸せには
酔うことは出来るかもしれない。
しかし、いつかは、
酔いは覚めるものだ。
要するに
老子の心理学は
気付け薬だ。
そのまま眠っているのも良いが
そろそろ目を覚ますのも
味わい深いかもしれない(笑)
ダルマ
フェアライト
073-447-1090