2017年04月05日

老子「自我はどこにいる?」


狂っていた人や
パニクっていた人が
正気を戻す。

気絶していた人が
意識を取り戻す。

ぼーっとしていた人が
ハッと我に帰る。

これらは、
気付くまで
自我が留守だったと
いうことです。

我々の自我というものは
見失いやすいものなのです。

そのように都合よく
無責任に出来ています。

例えば
我々の総意で作ったと
されている法律では
薬物など使用で
責任能力のない人々は
罪を犯しても
責任能力のある人に比べて
軽い罪で済むそうです。
場合によっては無罪に近い
采配が下されることも
あるかもしれません。

なるほど
考えようによっては
貴方(自我)が留守の間に
貴方の名をかたる心身が
罪を犯しても
罪になる方が
おかしいかもしれません。

それが法律(価値観)の考え方です。

そうです
価値観は貴方を守るためのものだからです。

しかし、実は
価値観の
お世話にならない方が
もっと安全なのです。

先ほどの例でいえば
薬物をやらない
意志(自我)の強さを
持つことになります。

いつもあなたが
そこ(定位置)にいて
心身をしっかり
監視していれば
済むことなのです。

我々の心身は
法律(価値観)に監視されるか
自ら監視するしかありません。

そして、
今はその両方が必要かもしれません。

もし、
法律(価値観)のみに
監視されて生きているような
体裁ばかりの人間が
存在するとすれば
法に触れなくても
人として過ちを犯す
可能性を秘めていると
いうことかもしれません。

これは、誰かを
責める話ではありません。
その誰かを守る話なのです。





ダルマ

フェアライト

073-447-1090
  


Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)