2017年04月11日

老子の道 一回目 「タオ」


老子の教えを
「タオ(道)」って呼ぶくらいだから

「道」について説いた人なんだろうね。

そうですよね?
老子さん(笑)

ところで
道ってなんでしょうか?

例えば
間違いを犯すことを
「道を誤る」「道を見失う」ともいいます。

一般的に道から外れることは
間違いのようです。

では皆様の道とは何でしょうか?

老子が決めてくれるものでしょうか?

たぶん違うと思いますよね。

老子さんなんて
其のあたりは無責任ですから(笑)

自分で決めるべきです。

道に気付くべきです。

さてさて


つづく



ダルマ

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2017年04月10日

老子 「天使と悪魔の歌声」


前にも書きましたが
僕が最近好んで聞くジャズの歌手
女性がビリーホリディ
男性がフランクシナトラ
この二人は偶然同じ年に
生まれてきました。

ビリーホリデイの歌声は
晩年と言っても
44歳でこの世を去った若さで
枯れてしまっていました。

元々、一見、美声でもなく
だみ声、カエルの鳴き声なとど
言われることもあるそうです。

悪魔か天使かというと
一見悪魔っぽいかもしれません。

黒人のブルースを一手に
背負って歌うイメージです。

方や
フランクシナトラは
超美声で
若いころは特に
正に天使の歌声です。
しかも
白人のヒーローです。

マイウェイのおっさんの
イメージしかない人は
是非若かりし頃の
彼の歌も聞いてもらいたい(笑)

さてさて、

しかし、

それとは真逆に

ビリーホリデイの歌が
天使の声に聞こえて
フランクシナトラが
悪魔の声に聞こえるのは
僕だけでしょうか?(笑)

もちろん

耳がおかしいのでは
ありません(笑)

時折ですが
そう聞こえるのです。

物事には
見えてくるものが
あるということです。

一見では
解らないような
重大なことが
文字通り
隠されているのです。

皆様も
本質を見破るためには
先入観を外すことです。

ビリーホリディや
フランクシナトラの例でいうと
今自分が聞いている声すら
そうでないのかも
しれませんということです。

音楽については
若いころは嫌いだったものが
歳をとって良さが解ってきた
という話をよく聞きます。

しかし、
現実の人生については
それほど時間を
かけられるものでもありません。

やはり
先入観を外して
見破っていくのが

安全なのではないでしょうか?

と老子は言います。






ダルマ

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2017年04月09日

老子の世間「好かれたい」「仲良くしたい」


我々が結構強く願うこと
「好かれたい」「仲良くしたい」
これらは素晴らしいことである反面
厄介なことにもなりかねない。

よく、お人好しで騙されやすく
いつも家族に迷惑をかけている人が
このような価値観を
強く持っていることがあります。

例えば
頼まれると
断れないですよね。

相手は騙すつもり満々で
頼んで来ますが

とにかく
詐欺師とも
仲良くしたい
好かれたい
訳ですから。

そして、
詐欺師とは
そのような
人の良い人を
狙ってきます。

当たり前ですよね

僕にも
沢山騙されてきた
歴史がありますが

詐欺師が
悪い人だと気付いていながら
「この詐欺師は良い人だ」と
自分を説得、
家族を説得してしまうのです(笑)

そして、
これ以上騙され続けると
破滅だとなると

「好かれたい」
「仲良くしたい」
価値観を
手放すしかなくなります。

すると
不思議です。

今まで
仲良くしていてくれた
詐欺師さんが
急に居なくなるのです。

不思議なのです。

やはり、
騙されていたんだと
友達でもなんでもなかったと
気付くわけです。




老子は言います。

人間とは寂しい生き物だと。





ダルマ

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2017年04月08日

老子「霊界を説かず」


老子は霊界を説かず

老子は超現実的だ。

しかし、
超現実とは
実際、
反対から見ると
超霊界的だ。

しかし、
我々は現実的に
事を行わないと
失敗する。

だから、
老子は現実的だ。

現実的に
霊界(エナジー)を動かす
これが老子の極意だ。

何を言っているか
解らないかもしれないが

我々が
現実的に
生きていく
行動することのみが
全てだと言う。

そして、
その結果を
天に問うとすれば

それが
各々の
人の生きた
在り方なのだ

と老子は言う。






ダルマ

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2017年04月07日

老子の信じる信じない


皆様は他人を信じますか?

もちろんと時と場合によると思いますが

でも
その時と場合により
同じ人でも信じられなくなるのです。

すなわち

人を信じられるか
信じられないかは
あなた次第。

ある意味
他人なんて
いないのです(?)

全てが貴方のエナジー的な投影なのです。
(他人は鏡という話とは、ちと違います(笑))

もちろん他人という
存在(心身)はいます・・・・・(笑;)

貴方は
他人という存在に
投影して
自らの誠実さを
試されているとでも
言いましょうか。

他人を
信じるか
信じないかは
あなた次第と
老子も申しております。

ところで
何を信じればよい?(笑)

でも
信じる信じないの
問題ではないし(笑)

また混乱ですか?(笑)

老子さん・・・・・・




ダルマ

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2017年04月06日

老子「断食」


老子による新解釈の断食とは
「食べることを断念する」ことです。

今は飽食の時代となりました。
それは我々の中にある
飢餓に対する価値観(恐怖)の
裏返しです。

とにかく、
「美味しいものをたくさん食べることが
人間の幸せだ」
そうかもしれません。

僕も時には
食べることが大好きです。

しかし、メリハリは、つけます。
いつも体の中が
おいしいもので一杯だと
苦しくなってくるからです。

昨年、ある意味自然と
20キロ以上体重が減ってからは
基本的に朝食を抜くようにしました。

世間では
プチ断食ともいいます。

その半日ほどで胃を空っぽにして
休ませてあげているのです。

そして、お昼ご飯は極力煮物などの
油を控えた食事にします。

プチ断食のあとは
胃がいきなり重いものを
受け付けないからです。

こうやって自然の状態を取り戻す。

飢餓と飽食のちょうど中間あたりの
粗食とでも言いましょうか?
まあ和食ブームのようなものです。


さて
今日の断食の新解釈は、
「食べることを断念する」
でした。
本来の断食の意味である
「食を断つ」のでも
「ダイエット」でも無いのです。

食べることを自らの意志で
断念する。

もちろん、
体の状態に合わせて
安全にですが

「断念」とは
強い意志を必要とします。

例えば健康に悪そうな
刺激の強いものを食べたいときに
あえてあっさりしたものを食べたり、
夜食を文字通り断念するなど。

ダイエットとどこが違うの?と
思われるかもしれませんが
ダイエットのような我慢と
断念は
目的が違います。

我慢は自分のためですが

断念は自分も含めた他者のためなのです。

この他者の部分が普通は見えません。

集合意識だからです。

もう少しだけお話しすると

貴方が美食をすることで
沢山の何か(エナジー)が
地球から失われていくのです。

しかし、
貴方が美食を少しでも断念することで
集合意識を通じて
ある地域の飢餓が解決するのです。

地球のバランスでいうと
食の楽しみをほんの少し断念しただけで
本来の生きるため(死活問題)の食が
増えるような仕組みです。

この世界は偏りがちです。

それは、まるで表と裏のようです。

この時代
食に関しては
我々が表の住民かも知れません。

エナジーの法則では
表の断念が裏を変化させるのです。

今日の老子さんは
ちょっと難しい話を
投げかけてきました。










ダルマ

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2017年04月05日

老子「自我はどこにいる?」


狂っていた人や
パニクっていた人が
正気を戻す。

気絶していた人が
意識を取り戻す。

ぼーっとしていた人が
ハッと我に帰る。

これらは、
気付くまで
自我が留守だったと
いうことです。

我々の自我というものは
見失いやすいものなのです。

そのように都合よく
無責任に出来ています。

例えば
我々の総意で作ったと
されている法律では
薬物など使用で
責任能力のない人々は
罪を犯しても
責任能力のある人に比べて
軽い罪で済むそうです。
場合によっては無罪に近い
采配が下されることも
あるかもしれません。

なるほど
考えようによっては
貴方(自我)が留守の間に
貴方の名をかたる心身が
罪を犯しても
罪になる方が
おかしいかもしれません。

それが法律(価値観)の考え方です。

そうです
価値観は貴方を守るためのものだからです。

しかし、実は
価値観の
お世話にならない方が
もっと安全なのです。

先ほどの例でいえば
薬物をやらない
意志(自我)の強さを
持つことになります。

いつもあなたが
そこ(定位置)にいて
心身をしっかり
監視していれば
済むことなのです。

我々の心身は
法律(価値観)に監視されるか
自ら監視するしかありません。

そして、
今はその両方が必要かもしれません。

もし、
法律(価値観)のみに
監視されて生きているような
体裁ばかりの人間が
存在するとすれば
法に触れなくても
人として過ちを犯す
可能性を秘めていると
いうことかもしれません。

これは、誰かを
責める話ではありません。
その誰かを守る話なのです。





ダルマ

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2017年04月04日

老子「善という価値観」


価値観が強すぎる

例えば
年寄りの
固定観念を嫌う若者は多い

その様な若者は
ある意味
価値観に反抗する。

だから、自分は
固定観念が無いと言う
自由を愛するのが
若者の性質だ。

嫁と姑の関係でも
嫁は姑の固定観念の権化を
完璧に嫌う。

その一見
固定観念に対する
善の完璧主義(完全否定)こそ
価値観の権化なのだ

それは、
貴方は固定観念(価値観)が無いと言いながら
その正反対の価値観を強めていくことになる
ということだ。

相手が間違っていれば
当然自分は正しい

その善の価値観が最強になるとき

「これが世の中の
争いというものの
仕組みだ」

と老子は言う



ダルマ

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2017年04月03日

老子のお金


まるで
人間でないような
老子にとっては
お金とは興味がない
無駄の
象徴なのかもしれない。

しかし、
我々のこの世では
お金は大切だ
価値観だ
それが現実だ。

もし
完全自給自足で
自らは
お金の要らない
生き方を
していたとしても
税金や
年金保険は
どうするのか?

今の国は
お米での年貢を
受け付けていない。

金銭化(換金商い)
するしかなかろう。



なのに
最近特に思うのが
この一生を
金を稼ぐだけの
価値観で終わらせては
いけないような気がする

普通は金さえ稼いでいれば
後は何もしなくとも
それ以上考えなくとも
誰からも文句を言われないが

僕の場合は
自分が自分に
文句を言いだす(笑)

全ての人間は
深いところ
無意識ともいえる
その領域では
様々なものを
求めている。

だから、
一見無駄なことにも
チャレンジする人間が
あとをたたない。

それが人間に与えられた
本質でもあると思う。

さて、
そして、

老子のお金とは
一見無駄なものだという。

だから、

老子はお金も否定しないのだ。


ダルマ

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2017年04月02日

老子「人を救える日」


「人を救うこと」

もちろん素晴らしい響きです。

では、「人を救うこと」とは
何でしょうか?

老子曰く
それは危険なことです。

老子曰く
それは無意識なことです。

老子曰く
それは軽はずみなことです。

老子曰く
それは集団心理です。

老子曰く
それはブームです。

老子曰く
もしそれなら何れ去るでしょう。



そして、
本当に人を救える人は
ある意味
人を超越している人です。

だから、人は集団を作り
個人を超越しようとします。

例えば
寄付金でも
少しづつお金を出し合うことで
ちりも積もれば山となります。

しかし、意識が上のように
老子が言ったようなままなら?

老子曰く
もしそれなら何れ去るでしょう。



我々が本当に
人を救える日が来るように
人間の本質を理解してほしい。

老子曰く
人間理解は救済への第一歩です。





ダルマ

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2017年04月01日

老子の嘘


いよいよ四月です。

エイブリールフールにちなんで
嘘についての
お話をしてみようと思います。

そもそも嘘とは何でしょうか?

嘘をついたつもりが
感謝されることもあります。
その逆に
本当のことを言ったために
トラブルが発生することもあります。

嘘が良いとか
悪いとか
状況によって
使い分けてしまいますが
そもそも
嘘とは
狭い視野から
発生するものだと思ってください。

何故なら
人間の潜在意識は
嘘を見破るからです。

みんな深いところでは
嘘だと解っていて
あえて狭い視野に
してしまう状況で
騙されているのです。
どちらかというと
騙されたふりをしているのに
近いかもしれません。

ではどうして
騙されたふりをするのでしょうか?
それはその方が
安全だからですよね。

例えば
会社で
上司のことを
「悪人だと気付いている」と
部下がわざわざ本人に告げるでしょうか?

そんなこと伝えると
危険ですよね。
上司は良い人だと
思わされている
騙されている
演技をしますよね。

でもしばしば
演技と
実際の
区別が
解らなくなってしまいます。

そうなると
今度は自動的に
自分自身を騙してしまいます。
自分に嘘をつくわけです。

これで嘘をついている自覚も
消えてしまい、
ずいぶんと楽になります。
これは自己欺瞞の一つで
無意識な自己防衛手段です。

嘘は貴方の感情を
守ってくれると同時に
貴方の自我を
無茶苦茶にします。

何かを守るためには
何かを犠牲にすることが必要だからです。

今のあなたにとって
何が一番大切かということです。

感情か?自我か?
嘘か?真実か?

ここまで考えて生きている人は
少ないと思います。

老子の嘘とは
なかなか知りたくない
課題なのです。








ダルマ

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