2017年05月19日

ネオ老子が語る「集合意識の苦しみ」


老子は言います。

「人として長い間生きてきた」と
人として長い間生きてくると
当然様々な葛藤が芽生える。
そしてそのほとんどが
未処理のまま放置されていく
放置されたものは
誰かが背負っていく
それも集合意識の側面だ。

だから、我々の中にある感覚は
ほとんどが集合意識の背負いだ。

皆さんが感じる
罪悪感、羞恥心、疑惑なども
現実に対して感じているわけだけど
そう思わされているだけというか
しっかりそう思うために
あえてつじつまを合わせる
体験をしている可能性まである。

例えば
集合意識にある
罪悪感を背負う人は
自分が悪くないのに
他人の都合に対してまで
感謝してしまう。

常に「私のために
このようなことを
していただき」
みたいな感じだ。

実際相手は
無意識にでも
貴方の背負っている
罪悪感に便乗して
美談(自己犠牲)に見せようと
しているだけだ。

少し例を変えると
詐欺師ほど他人の
背負いに敏感で
便乗しようとする。

しかし、
この詐欺師も
実際には
悪魔の
シモベのようなものだ。

僕は今のところ
詐欺師で幸せになった人を
見たことがない。

そのような
悪魔のシモベ化をすると
他人の弱み(集合意識からの背負い)に対して
常に鼻をピクピクさせて
感情的に生きていくしかない
しかも、それが喜びになるのだ。

そして、
上がったり落ちたりが
極端で
それが永遠に続くのだ。

しかし、
この状態って
ある意味
一流企業の
エリートサラリーマンような
生き方に
似ているような気もする。

僕も昔
長年サラリーマンをしていた。
上がったり堕ちたり
悪魔のシモベのような
人生だったかもしれない。

最近のリストラや就活をテーマにした
テレビドラマを見ていても
同じことを感じるから
世間一般にもこのような意識状態が
今も蔓延しているかもしれない。

そして、
それがまた
新しい集合意識を作っていく
そして、
我々の子孫が背負っていくわけだ。

もちろん、このようなことが
悪いわけでも良いわけでもなく
この集合意識の背負いが
終わったときに
全てが自然淘汰するだけだ。

しかし、今のところ
集合意識の苦しみは
増える一方のような気がする

そのあたりは、どうなのだろうか?

老子さん?(笑)

老子は言う
「人として長い間生きてきた」

えっ?それだけ?(笑)






ダルマ
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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)