2014年12月30日

老子 第十六章 「静」

老子 第十六章 「静」
老子 第十六章。

中国古典の「老子」を原文の章に沿ってチャネリングをしていく企画です。

今日のテーマは「静」

心とはまるで写し鏡のようだ。

何かが起これば
目で見るには変わりないが
目は判断しない。
それがまずあなたの心(鏡)に映されてから
判断される。

そのとき心の鏡の表面が歪んでいたり傷だらけだと
判断も歪む。
しかも本人は見たままを判断しているつもりだから
疑う余地も無く、見たと思うものを信じてしまう。

人間の判断なんて高が知れている。

例えば
昔の裁判で有罪になったのに本当は無罪だという人がいる。
有罪の証拠は犯行の目撃者だけだそうだ。

最初、目撃者は半信半疑だった。
でもみんながそうに違いないと言うから
そう思い込んでいく。
最後にはその容疑者を被害者もみんなも犯人だと言うから
自分が見た犯人もその容疑者に違いないと確信を持ち
「私が見た犯人はこの男に違いありません」と証言する。

人間は自分の心の歪みには気づかない。
自分の心が歪んでいるのではなく
相手や環境が歪んでいると判断するからだ。

でも心の鏡の歪みを知る方法がある。
自意識の存在だ。
中でも自意識過剰な人が特に危ない。
例えば
自分はきっとまじめで全うな人間、
常識もある人間で世間体も良いと見られてるのに違いないなどの
どちらかに偏った自称善人が
実は心にいつも波風を立てている。
いつも他人の目を意識して行動するからストレスも満載だ。
そういう人がみんなの期待を背負って正義の味方へ変貌し、
上のような犯人の目撃者を演じることもある。

さて今日のテーマ「静」とは本来の心の状態のことだ。
波風ひとつ無い水面は何もかもあるがままに映す。
それは見たままで十分ビューティフルだ。
だから何も判断する必要が無い。

心を「静」の状態にするとあなたは自然の根源に帰る。
宇宙の法則の元であなたの眼力は「明知」と成る。
さあ貴方の心に「静」を意識してみませんか。


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