2017年07月27日

戦いの果てに~魂の果てに「チェリビダッケ&カラヤン」

戦いの果てに~魂の果てに「チェリビダッケ&カラヤン」
久しぶりに音楽の話題。

セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996)は、
ルーマニアで生まれて
ドイツで活躍したクラシック音楽の
世界的な指揮者です。
晩年は来日公演もあり
日本のマニアの方も
たくさんおられるそうです。

このころのクラシック界では、
一般的には帝王と言われる
カラヤンが有名ですが
チェリビダッケとカラヤンは
対立せざる負えない
関係だったというか
現実的にもエナジー的にも
全く逆の追及をしていくわけです。

まず、チェリビダッケは、
頼まれても
レコードを作りませんでした。
音はその場限りのものだと
録音すると
もう別のものになってしまうと
固く信じていたのです。

ですから、
本人の没後、
遺族の意向で、
資料テープから起こされた
ライブアルバムはあっても
カラヤンや他の指揮者のように
スタジオレコーディングのアルバムは、
存在しないと思います。
「アルバムは既に芸術ではない」が
チェリビダッケの見解です。

それは、昔のことにしても
もし完全に再現できる技術が
今後開発されても
ライブのエナジーには、
勝てないのかもしれません。

僕も思うのですが
実は音が悪いとかそのような問題だけでなく
そこに人がいない状態(録音)で
幾ら素晴らしい音でも
何かが欠落している。
逆に通信手段に例えると
Skypeなどで
多少クオリティーが落ちても
そこにその先に人がいると
エナジーを感じるわけです。

様々な評論家が解明する
チェリビダッケの録音嫌いの問題は
音のクオリティーを通り越したところの話を
本人は伝えたかったのだと思いますが?(笑)

ですから、
手段は何であれ
リアルかバーチャルかで
エナジーが違うわけです。

もちろんどちらが
良いという問題ではありません。

ただ違うのです。

例えば
バーチャルとは不思議なもので
リアル以上の凝縮された刺激と
リアルなイメージを連想させ
リアルだと錯覚し
脳ではリアル以上の
刺激を感じます。

ですから、我々がリアルかバーチャルかを知るためには
今後は自然で地味なものがリアルだと
反転の感覚に気付く必要が出てくるのかもしれません。

意外とリアルらしくない
囁くようなものが
静かなものが
リアルなんて
普通は信じられないのです。

それほどこの世は
バーチャルという
超リアルに支配されていくのです。








ダルマ

フェアライト

073-447-1090


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