2017年10月12日

危険な力、古い力への依存執着

危険な力、古い力への依存執着
昨日まで書いてきた
無意識の自動運転の他にも

危険な力、既に古い力はたくさんある。

そして、
そのような力は過去に失敗した力だ。
しかも
失脚して行ったから復権を狙っている。

そして、
その復権を狙っているそのエナジーに
我々は無意識になると
文字通り、とりつかれる。

それが自我の弱い人の
危険な力、既に古い力への
依存執着となって表れている。

そして、
そのような集合意識は拡大していく。
困ったことに物質界では
数こそ正義なのだ。


依存執着だから
もちろん「手放したくない」という
自分の考え(意思)だと信じている。

だからこれからも
このような力を得ていく人は多い。

古い力だから簡単に得るのだ
取り戻してしまう。

過去世があるとしたら
どこかで死ぬ思いで
やっと手放せたのに
簡単に取り戻すのだ。
大変残念だとは、
思いませんか??

僕が関っているだけでも
その古い力を必要と感じている人は多い。

僕が「危険だよ」とやさしく言っても

「解っている
でも生きていくためには必要なんだ」と
必死でその力をかばう。

まるでその力(憑依)が自分の様だ。

もっとひどい状態になると
僕が
その力を欲しくて
「妬んでいる」と思う。

いやいや
それは簡単に得れる力ですから(笑)

捨てるのは難しいですが(笑)

そして、どこかで断念しないと
いつか闇へと堕ちていく・・・・・・


そして、もうひとつ
その古い力のデメリットがある。

その古い力が憑依し続けるためには

我々の自我がどんどん果てしなく
弱くなっていかなければならない

自我が果てしなく弱いとは
ある意味
自我が死んで行くのと同じだ。

一般的に心身は死んでも
自我(魂・意識)は、
死なないらしいが

なのに自我が死ぬとは
何ということか?

死ぬよりひどいではないか?

助けて~と叫んでいる???
だれが????(笑)

まあ、そのような
酷い抜け殻状態に
されてしまうわけだ。

たぶん(笑)

これもSF小説かも知れないけどね(笑)






















ダルマ

フェアライト

073-447-1090


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