2016年04月04日

最近書いた「自己犠牲」の書き込みの続きです。


ちょっと前に書いた
反面教師の自己犠牲でふと思い出したのが

10年以上前に
僕がご指導を受けていた
霊性修行の師匠のことです。

彼は修行のため
度々インドを訪れていたそうです。
その年もたくさんのお弟子さんを連れてインドを訪れました。
ある聖者を訪ねるためです。

ところが、
彼らはインド側からテロリストとしてマークされていました。
いくら怪しい風貌(笑)とは言えひどい話です。

それには理由がありました。
彼らがインド入国する直前に
ある人から「彼らはテロリストだ」と通報があったそうです。

結局、彼らは、ある聖者のアシュラムにも入れてもらえず、
ということは、宿もないわけです。
日本なら何とかなりますが
インド奥地ですから事は深刻です。
そのうえ激しい雨まで降ってきて
ドロドロの道を重い荷物を引きずりながら
泊めてくれる場所を探し彷徨ったそうです。

しかし、捨てる神あれば拾う神ありで
結局、親切な人を見つけて
温かい食事にありつけるわけです。

ところが
そこでその師匠一行がとった行動が
たぶん普通には理解のできないことなのです。

なんと
自分たちをテロリストだと通報した人の
幸せをみんなで祈ったそうです。

その後、まもなく
僕は、
無事帰国したその師匠と久しぶりに
セミナーで再会することとなり
そこから自己犠牲の話をお聞きしました。

インドに通報した人の正体は解っていたそうです。

しかし、通報した本人が
そこまで自分自身を落としてまで
彼らに苦難と気付きをもたらしてくれるには
相当の自己犠牲が必要だったとのことです。

おそらく、前世と言うものがあるのなら
率先して嫌われ役を演じてくれるくらい
元親近の人だったのではないでしょうか?
とのことでした。

まあ師匠が通報者と
夢の中で会った時には
「いくらなんでも、やりすぎちがうか?」と
言っておいたそうですが(笑)



このように
自己犠牲とは大変難しいものです。

しかし、我々は自己犠牲している可能性もあります。

でも、悪いことをして「これは、自己犠牲だ」などと
都合のよい言い訳に使ってもいけませんよね。

本来は、誠実さあっての自己犠牲ですから。

上のような例は特殊なケースです。

受け取る側によって自己犠牲として認められたケースです。

でも出来れば
日々の苦難も
上のようなケースのように
受け取り方に気を付け
成長のための糧にしたいものですね。




ダルマ

ヒーリングサロン フェフライト
073-447-1090