2017年05月31日

ネオ老子の六月


いよいよ明日から六月ですが
六月って祝日が無いんだ!!!

まあ、
うちは定休日や
盆正月以外は
祝日も営業で
僕に祝日感覚はありませんが
世間の集合意識として
!!!しておきました(笑)

水無月とも言いますが
実際には梅雨時期で
水の月という説があります。
「無」=「な」=「の」という解釈ですね。

同じように「神無月」を
「神の月」という説もあります。

僕の毎年のことを考えてみると
六月って結構忙しいのです。

でも何となく夏を待つ感じで
世間はジメジメして
中途半端なのかもしれません。

そして、
水の月に僕が思うのは
もう来年のことですね(笑)

よく「来年のことを言うと
鬼が笑う」と言いますが
べつに鬼の機嫌なんて
取らなくてよいのです(笑)

一年も半ばまでくれば
何となく今年の流れは
もう決まっていますから
後は刈り取るだけというか?

だから、
同時に来年をイメージし始めて
種まき開始です(笑)

何となく翌年は
前年のその様な意識で
決まるのです。
その意識がないと
この早い流れの一年に
追い越されそうになりますよ(笑)

今頃焦っている人は
この時期でも
来年のイメージを持てるか?
意識を検証してみてください。

そして
鬼が笑ったら
オッケーというか(笑)

老子さんは
普段から
あまり
殆ど
絶対
笑わないですよね?(笑)







ダルマ

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2017年05月30日

ネオ老子の独り言「言われたとおりにやっていると」その4


さて二番目の選択肢は
もちろん「自立」です。

しかし、
普通はここで意味する
自立が深すぎて解らない。

一般的な
第一の選択肢のように
自分を殺しロボットのように生きて
安定を築いている人を
世間では「大人(経済的)の自立」と呼ぶからです。

たぶん
そのような大人から見ても
対極にある深い自立なんて
たわ言というか?
「それは、我々のように
戦っている人々がいて
初めて出来るような
理想だ」と言われる。

実際、
その様な人々が
犠牲になり
経済成長を担ってきたわけです。

だから、
そのあとの時代に生まれてきた人々は
昔より自由に生きていられる。
やっと本来の理想的な自立も
考えられるわけだ。

実際
歴史や経済は
そのような犠牲の上に
成り立っている。

だからこそ我々は
その犠牲を無駄にしない未来を
構築していく
そして、
我々自身も
次の段階のステップになるのが
自然なのかもしれない。

その上での現在の自立とは何だろうか?

それは、
「誠実」に生きて自立することです。

この悪魔がはびこる世界
悪魔を増やし続けた世界に
自主的かつ誠実に生きて
少しでも悪魔を減らすことが
次の世界への
橋渡しとなるわけです。

ちょうど今の世は
麻痺させてロボットのように生きる人(悪魔を増やす人)
誠実な在り方で生きていく人(悪魔を減らす人)の
スクランブル交差点に
達したような気がすると
老子も独り言を言っておりました(笑)

さて、
悪魔のいない世に向かって
でもそれって
何万年かかるのでしょうか?(笑)

でも
そろそろ
悪魔に言われたとおりばかりやっていると
「ちょっと違うなあ」と
思っちゃうわけですよ(笑)

ね?老子さん(笑)













ダルマ

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2017年05月29日

ネオ老子の独り言「言われたとおりにやっていると」その3


こんにちのように
言われたとおりに強制される世界を
生きていくための
道が二つあると言っても
先にお話をする
選択肢は
この時代や
先の時代では
お勧めできません。

なぜなら更に沢山の悪魔を
育てることになるからですよね(笑)

でもその第一の選択肢とは
とりあえず生きていくために
ロボットのような人間に成ることです。

全てを麻痺させてパソコンのように
プログラム(価値観)だけで生きるのです。

これが極端にできる人を
昔は優秀な兵士と言って
ある程度出世させました。

もちろんスゴイ努力です。

人間の限界を超えるわけですから

しかし、
そのような努力のおかげで
悪魔(支配者)が
たくさん育ってしまったわけです。

それも、一つの自然な
ステップですから
必用だったのかもしれませんが

まあそこまで死ぬほどの
努力をするなら
出来るなら
いっそ
二番目の選択肢を
お勧めいたします。

つづく
  


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2017年05月28日

ネオ老子の独り言「言われたとおりにやっていると」その2


道は二つありますまででしたね(笑)

でも少し話を戻します(笑)

人間は何でも言われたとおりに
やっていると
いつか爆発します。

必ず爆発します(笑)

人間の脳の構造が
ロボットのようには、
出来ていないからです。

僕は職業柄
今までたくさんの方々の
お話を聞かせていただきました。

例えば
ご近所でも有名なくらい
立派なお嫁さんがいました。
義母の言うことは何でも聞きます。
ですから嫁の鏡とまで言わます。
そのうえ人間が出来ていて
実行力もあるのです。
しかし、
何十年もそのような生活を続けていると
原因不明の病気になります。
しかし、
義母は既にモンスターになっています。
何十年も何でも聞いてもらって
それが当たり前だというところが
基本になっていました。
正に悪魔です(笑)
こうなると他の家族も
悪魔のシモベになるしかありませんが
その悪魔を育てたのが
周りの人間ということです。

そうです。
言われたとおりにやっていると
世の中が悪魔化するのです。

つづく





ダルマ

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2017年05月27日

ネオ老子の独り言「言われたとおりにやっていると」


何かを
言われたとおりにすること
それが出来ることは素晴らしいことです。

基本的にほとんどの
仕事がそのような仕事です。

ですから、
未来には
ほとんどの仕事が
ロボットにとって代わるのかもしれません。

そうです。
残念ながら
元々の人間は
言われたとおりに出来るように
作られていないみたいなのです。

しかしもし人間が
何でも言われたとおりにすると
無責任になります。
嘘つきになります。
無意識になります。
そのほか様々な
我慢を強いられるわけです。

ロボットなら
その様な概念が
無いのにね(笑)

しかし
人間なら
誠実な
本質を殺していることになります。

例えば
大企業の重役が
自分の意志を殺して
理不尽な企業の命令で
頑張っている姿は
ドラマでも実際でも見られます。

実際、
ほとんどのOLやサラリーマン
ほとんどの仕事に付かれている方々
また、
専業主婦の方々も
そのような我慢を強制され
仕事(役割)をされているのでは
ないでしょうか?

さて、しかし人間は
言われたとおりにやっていると
いつか爆発します。

必ず爆発します(笑)

ではどうしたらよいのでしょうか?

道は二つあります。

つづく




ダルマ

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2017年05月26日

ネオ老子「霊界!?」


霊界という言葉はまたまた怪しいイメージがある(笑)

それは、
このような言葉を使って
人を脅したり、騙したり
怖がらせる事が
歴史的に
続いてきたからかもしれない。

実は
僕は特定の宗教に
信心していないが
様々な宗教の
元になっている
偉人(仏陀やキリストのような)の
生き方や
言っていることは
ある意味正しいと
思うこともある。

しかし、
一足飛びに成長するために
真理を無条件に信じるより
先人たちのように
自分の経験で
ゆっくりと成長する方が
安全だし
確実だと
思うようになったのです。

この「霊界」しかり

僕たちが思っている
価値観では
計り知れないものだと思います。

どうしてこのような話を
引き合いに出したかというと

皆さんはイメージで
損をしているからです。

例えば
人は物事の真偽も
自分が
知っているか
知らないかで
判断する事が多いが
それはほとんどが
単なる情報ベースの
場合だと思うんだ。

でも
よく考えると
当たり前だよね。

なのに
あなたの知らないものは
まるで怪しいモノ扱いだ。

単にあなたの情報不足や
それ以上に
経験不足なのに・・・・

でも
やはり
そうとは思えないのが
人間の脳のシステムなのです。

だから
我々は巧妙に
真実から
そらされている。

「ただそれだけだ」

と老子は言いますが(笑)






ダルマ

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2017年05月25日

ネオ老子「計画」


そろそろ今年も半分が終わります。

我々の生活は
安定を求め
それがどのような状態でも
ひとたび安定すると
同じことの繰り返しのような
日々が始まります。

安定という願いとは
その様なものです。

比較的若いころは
変化に富んでいますが
晩年は想像の範囲の
人生なのかもしれません。
大きな病気もなく
貯金もそこそこあれば
安心ということでしょうか?

しかし、
このように安定している人ほど
不満や不安を
抱えているのかもしれません。

反対に変化に富んだ
一見不安定な
晩年を送ってる人ほど
生き生きしていて
病気や死ぬことも
その時が来るまで
気にしていないというか?

死や病気を理解はしているが
ぎりぎりまで
生の活動を続ける意思があります。

不思議なものです。

いったいどのような生き方が
正しいのか?
もちろん何を選択するかは自由です。

選択していないようで
全ての人が選択をしています。

それは、
選択をしないことも
ある意味選択なのですから。

そして、
今日の老子のキーワードが
「計画」

この計画とは
誰をイキルかの
計画意識のことです。

例えば
自分を生きる人
自分のような他人を生きる人
全く違う他人を生きる人
我を失ったまま生きる人などです。

我々が具体的に
何をするかは
この意識が導ていくれます。

ですから、
同じことをしても

例えば
同じ環境で
親の言うままに仕方なく家業を継ぐ場合。
また、家業は継いでも
そこで自分でやりたいこととしてする場合など。
これも選択肢です。

同じ環境でしても
計画意識が違うと
全く違った体験を感じます。

やはり
不思議なものです。

同じ環境でも
意識が変わると
日々の過ごし方が
全く違うのです。

そのように
体感するのです。

この世では
現実がどうであれ
意識の体感したものが
現実ですから。




ダルマ

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2017年05月24日

ネオ老子 「無駄?」


何が無駄で
何が無駄でないのか?

一般的なスピリチュアル系の
言葉を借りると
「この世には無駄はない」と
言われますが

老子に言わせると
「無駄もあります」です(笑)
しかし、
その無駄を我々は
仕方がなくやっている
ある意味それしかないから
無駄も必要と言わざる負えない。
それが現状に近い表現なの
かもしれません。

では老子の言う
無駄の定義とは
どういうものでしょうか?

まあ我々普通の人間には
関係のないような
話かもしれませんが(笑)

念のために聞いてやりましょう(笑)

例えば我々が何かをやったします。

それが成功でも失敗でも構いません。

その時に貴方が
意識的にしていることは無駄にならずに
無意識にやってしまったことは無駄だと老子は言います。

もちろん我々は全てを意識的に
やっている思っています。

ずっと寝ていたのに
気付けば億万長者に
なっていたなんてこと
殆どありませんよね(笑)

だから、微妙なのです。

しかし、悲しいことに
実は無意識的な方が
成功の確率が高いのです。

ものの例えですが
成功する人は
悪魔に心を売っているというか?

詐欺師は
都合の良いときに
わざと無意識になって
悪いことも美談にするような
大技を出します。

ですから、
誠実で意識的な人は
小技でコツコツだから
なかなか急には大成功はしません。

でもこれが無駄じゃない生き方というか

無意識になって
大成功する人は
ドタバタ人生の傾向があるのです。

例えば
ヘリコプターで山の頂上まで
行ったら墜落
更にガケ崩れが起きて
ふもとまで滑り落ちてきます。
そしてまたリベンジするわけですが
同じようなことを繰り返し続けます。

その間、
徒歩で一歩ずつ登っていく
意識的な人
そこには
決して無駄はないのです。

どちらを生きるかはあなた次第ですが・・・・・

でも
弱い人間が
誠実みたいに
生きるしかないという話とは違います。
むしろ、
強い人間があえて誠実に生きるというか
それが意識的な生き方なのです。

ところで
貴方が無意識的になって
ドタバタやっている大量のエナジーを
悪魔が喜んで食っているらしいですよ(笑)
悪魔のお得意様です(笑)
「みなさまご苦労様です」
と老子が申しておりました。





ダルマ

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2017年05月23日

ネオ老子「気付き続ける姿勢」


後で考えると恥ずかしいようなこと。

たぶん皆様も経験ありますよね?(笑)

でももし
恥ずかしいことをやっていると
気付きながらやっていたとすると
後でそれほど落差が
ないのではないでしょうか?

もちろん
普通は
気付いていないから
平気で恥ずかしいことが
出来るわけですが(笑)

このような気付きが出来る人は
あえて恥ずかしいことを
必用?だからやってしまうこともあります。

まあ、これは変な話です。

その様な需要があるのかは
知りませんから(笑)

でも
気付きながら
恥ずかしいことを
やってしまうことも
可能なわけです。

では、そのことに
何のメリットがあるのでしょうか?

これは出来るようになってからの
お楽しみです(笑)

まずは、気付き続けるように
なろうと決めてください。

そして少しでも
常に正気を保つことが
重要なのです。

この正気というのも
微妙だと
老子さんは言っていますが(笑)









ダルマ

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2017年05月22日

ネオ老子「集合意識のご縁」


皆様もご縁というものを
感じたことはありませんか?

僕が子供のころからよく聞いていた
シンガーソングライターの小椋佳さんは
彼が以前お世話になった村に
「小椋」という苗字が多かったので
小椋佳という芸名を付けられたと
記憶しています。
そして「佳」は、
奥様から一字もらったとのことで
ご縁を大切にされている人柄が伺えます。

ご縁を大切にする人は当然成功します。
ご縁は、一人の力じゃないからです。

僕の話に戻すと
ここ二年ほど
ある地域のクライアント様が
急増しています。
しかも、近所ではありません。
皆様、高速道路で大移動して来られます。

そこから来られる
どのお方に伺っても
別にご紹介ではないらしく
偶然来られたということです。

不思議ですね。

実は
それで思い出したのですが
僕が今の仕事を始める前(20年近く前)に
その地域へ移住計画を立てていました。

当時都会に疲れ果てていた僕が
出した結論でした。
あちら側も
役所が空き家を
世話してくれるみたいで
良いお話だと思いました。

そこは、大自然の中で
仙人のような生活??
当時から海外からも
移住されている方がいました。

しかし、いつの間にか
その話は流れていました。
大自然の中で暮らすことは
そんなに甘いことでは
なかったのです。

しかし、気が付けば
今はその街の若者たちへ
心理カウンセラーとして
ご相談に乗っているわけです。

やはり不思議なご縁です。

何カ月か前にも
その地域へお礼もかねて
旅してきました。

普段、僕の集合意識は
東京や大阪などの
都会に向いています。
ですから、
そのような地域とも
今もご縁があります。

しかし、
最近の傾向を見ていると
大自然の集合意識とも
再びつながりだしたのだなと
最近は感じているわけです。

現代人には
都会と大自然のバランスが
どちらも大切なのです。






ダルマ

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2017年05月21日

ネオ老子の「意識世界」


老子曰く
「この世のすべては自分の意識次第です」

貴方の意識が弱いと
流されるし
強いとそこに居られる。

では
何に流され
何処に居られるのだろうか?

我々は集合意識に
流されながら生きている
そして、自立(自我)に
居ることが出来れば
かろうじて一瞬だけ
集合意識から解放される。

例えば
人間関係でも
多数派になびき
影響力の強い人が
言うまま生きることが
安全だと思わされている。

流されることは
安全だ
自立(自我)に居ることは
危険だと

これが社会の通常だ。

しかし、
老子の論理は違う
全く逆だ

流されることが
危険で
自立(自我)に居ることが
安全だという。



このように
見る意識を変えると
論理は反転する。

「そこのところだけが
重要というか」

そう老子が言っていた(笑)




ダルマ

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2017年05月20日

ネオ老子の「魔界」


さてさて、
「魔界」と言う表現は、
いとも怪しいものです(笑)

それがネオ老子の手にかかると
もっと怪しくなるか???
それとも自然なものとして
公開されるのでしょうか????

我々が住んでいる現実世界を
もし完全に見通すことが
出来たとすると
それが「魔界の物質化だ」と
老子は言います。

我々の世界は
エナジーが物質化したものだということは、
前にもどこかで書いたかもしれないし
皆様も良くご存じのはずです。
気付いていないふりをしているだけで(笑)

例えば貴方が怒ると
誰かが泣きます。
そして、
誰かが泣くと
誰かが心配します。

みんなで心配すると
不安な世の中になります。

これは、
感情的なエナジーが
現実を作っていく例です。

エナジーは感情的
ばかりではありません。

様々なものがそろっています。

そのような総体性を
例えて老子は「魔界」と呼びます。

そして、
この魔界の奥へと入っていくのは
強くて純粋な自我がないと
貴方は消えてしまいます。
乗っ取られるとでも言いましょうか?


この現実世界で
他の誰かより
衝動的に
力を誇示する人の
ほぼすべてが
魔界の住人(悪魔のシモベ)だと言っても
良いかもしれません。

それほど
我々のエナジーのルーツは
魔界とご縁がある様です。

貴方も絶大な力を手にするために
魔界に入りますか?(笑)

しかし、それは、
貴方が手に入れたと
錯覚してるだけで
実は力(自我)を奪われているだけなのです。

この力の意味の反転を
我々が理解する
体験から気付くには
まだまだ時間が
かかりそうです。

何故なら
この現実世界で
力を求めようとする人が
後を絶たないからです。

おとなしい貴方もきっと
条件さえ整えば力を求めますよ(笑)

悪魔の思うつぼです(笑)

ですから、
力を求めてしまって
失敗でもしない限り
強くなれないとでも
いいましょうか?

弱いから力を
求めないのとは結局違う

強くて
力を求められるけど
経験から
意識的に求めないのが
平安な進化のニュアンスに
近いのかもしれません。

それにしても
「魔界」という表現は
いとも怪しいものです。

おとぎ話の世界です(笑)






ダルマ

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2017年05月19日

ネオ老子が語る「集合意識の苦しみ」


老子は言います。

「人として長い間生きてきた」と
人として長い間生きてくると
当然様々な葛藤が芽生える。
そしてそのほとんどが
未処理のまま放置されていく
放置されたものは
誰かが背負っていく
それも集合意識の側面だ。

だから、我々の中にある感覚は
ほとんどが集合意識の背負いだ。

皆さんが感じる
罪悪感、羞恥心、疑惑なども
現実に対して感じているわけだけど
そう思わされているだけというか
しっかりそう思うために
あえてつじつまを合わせる
体験をしている可能性まである。

例えば
集合意識にある
罪悪感を背負う人は
自分が悪くないのに
他人の都合に対してまで
感謝してしまう。

常に「私のために
このようなことを
していただき」
みたいな感じだ。

実際相手は
無意識にでも
貴方の背負っている
罪悪感に便乗して
美談(自己犠牲)に見せようと
しているだけだ。

少し例を変えると
詐欺師ほど他人の
背負いに敏感で
便乗しようとする。

しかし、
この詐欺師も
実際には
悪魔の
シモベのようなものだ。

僕は今のところ
詐欺師で幸せになった人を
見たことがない。

そのような
悪魔のシモベ化をすると
他人の弱み(集合意識からの背負い)に対して
常に鼻をピクピクさせて
感情的に生きていくしかない
しかも、それが喜びになるのだ。

そして、
上がったり落ちたりが
極端で
それが永遠に続くのだ。

しかし、
この状態って
ある意味
一流企業の
エリートサラリーマンような
生き方に
似ているような気もする。

僕も昔
長年サラリーマンをしていた。
上がったり堕ちたり
悪魔のシモベのような
人生だったかもしれない。

最近のリストラや就活をテーマにした
テレビドラマを見ていても
同じことを感じるから
世間一般にもこのような意識状態が
今も蔓延しているかもしれない。

そして、
それがまた
新しい集合意識を作っていく
そして、
我々の子孫が背負っていくわけだ。

もちろん、このようなことが
悪いわけでも良いわけでもなく
この集合意識の背負いが
終わったときに
全てが自然淘汰するだけだ。

しかし、今のところ
集合意識の苦しみは
増える一方のような気がする

そのあたりは、どうなのだろうか?

老子さん?(笑)

老子は言う
「人として長い間生きてきた」

えっ?それだけ?(笑)






ダルマ
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2017年05月18日

ネオ老子の道「断念」


老子は
「忘れたころに便りが届く」といいます。

物事を悩んでいる渦中では
なかなかうまく運ばないものです。

時としてそれを力づくで
何とかしようと思って
熱くなることもありますが
やはり
単に熱くなっただけで
前に進んでいるようには
見えません。

老子の言う「忘れたころ」というのは
時間が経ち無意識(自動的)に
忘れるのではなく
意識的に断念しようと
努力し続けたときのお話です。

ぼくも
やっと断念出来たころに
便りが届くことが良くあります。

その反対に
何かに対して
モチベーションで
一生懸命することを
世間では
美徳と呼ぶかもしれません。

正義(美徳)を信じて
戦い続けるわけです。

しかし、
その美徳を作ったのが
誰?だか気付くことです。

たぶん
美徳は
悪の存在が作っている
可能性が?

実は美徳があれば
悪がはびこりやすいのです。

戦いに美徳をかぶせると
聖戦と言う言葉になります。

この世の戦いは
悪かもしれませんが
聖なる、正義、真理に
塗りつくせば
貴方は悪の侵入を
簡単に許してしまいます。

身近なところでも
他人に
ひどいことをした言い訳に
「貴方のため」と言った
覚えはありませんか?
しかも、
言い訳ではなく
真剣に
そう信じて
言っているわけです。

信じないと言えません(笑)

だから、
そのような(「貴方のため」みたいな)
貴方の善意に
反抗する人も
貴方は
許さないはずです。

このように
更に支配は進みます。

ですから
ある意味では
モチベーションの源泉は
支配欲です。

支配欲に
モチベーションという
美徳カモフラージュを
かぶせているのです。

ですから
逆に
そのようなモチベーションを
断念すると
支配欲が減り
楽になります。


もちろんすべての
モチベーションが
悪いと言っているわけでもなく

しかし、やはり
モチベーションは
行き過ぎると
本性を現します。

老子の言う
「断念」とは
その様なニュアンスの
使い方を指します。

すると

忘れたころに便りが届きます。





ダルマ

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2017年05月17日

ネオ老子が語る「恥の文化」 その2


何となく昨日の続きですが

さてさてどうしたらよいのでしょうか?

からです(笑)

ところでタイトルにある
「恥の文化」って何でしょうか?(笑)

我々が恥をかいて
恥ずかしく思うとき
それは、まさしく素(シラフ)に
戻った時なのです。
そして、
恥をかいているまっ最中は
必ず何かに酔っています。

しかし、もし、
その酔っている最中に
恥を少し知ることが出来れば
貴方は確実に意識的になります。
人生をコントロールできます。

しかし、これは難しい話です。

普通はあり得ないからです。

ですから、
いまだに「恥の文化」は
トレーニング(経験)として
必用なのです。

もし
この世から
恥ずかしいという文化(エナジー)が
無くなってしまったら?

もちろん「嫌な思い」は
減るかもしれませんが
反面
貴方の意識を強くする
トレーニング(経験)も
減ってしまいます。

例えば
全てが解放され
ヌーディスト村のような
世の中になってしまいます(笑)

もしくわ
原始時代に逆戻りですね。

この例え(原始時代)だと
それが退化だと
伝わるかもしれません(笑)

ですから
我々がこのままの意識状態で
開放的になりすぎると
人間は退化するのです。

楽になるための
解放をテーマにした
セラピーブームが
ありましたが
原始時代で例えると
今の状態で開放的になりすぎると
人間は暴力的(野性的)にも
なってしまいます。

それは本能に
あがなえなくなる
危険な
状態だということです。

ですから、
まだほとんどの人にとって
開放は、早すぎたのです。
もっと人類の自我が強くなって
暴力的なども純化されて
その時が来れば
自動的に
解放されるとでも
申しておきます。

ですから、
昔のように
ちょっと苦しいからと言って
セラピーを受けて
解放している暇があったら
(限界を超えるような苦しさには
一時的なセラピーは必用かもしれません)

今は自我の強化や純化を
先に進めるのが
筋なのです。

この辺りの
意識感覚と共に
ネオ老子が語るような
「恥の文化」を
しっかり味わってみられては
いかがでしょうか?










ダルマ

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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)

2017年05月16日

ネオ老子の語る「恥の文化」


我々が普段恥ずかしいと
感じることは色々あります。

しかし、
ある人(心理状況)にとっては
恥ずかしいことでも
恥ずかしくありません。

例えば
恋愛の告白。
普段は恥ずかしくて
「好き」とか言えませんが
お酒が入ると
急に大胆になる人が
いるかもしれません。

そして
このようなことが
シラフの状態でも
起こりうるのです。

もちろん
この場合のシラフとは
酒に酔っていないだけで
何かに酔っているのですが。

さて、普段我々は
何に酔って
慢心してしまうのでしょうか?

その答えは
エナジーに酔っているとでも
言いましょうか?

例えば
調子に乗る
調子に乗って失敗する

この「調子」もエナジーです。

そして、大切なことは
失敗したくないから
調子に乗ることを否定して
無気力に生きても
何も起こらないのです。
あまり失敗もしませんが
成功もありません。

逆に
わざわざ
昔流行った
「プラス思考」とか言って
調子に乗るのは
状況によっては
実は危険なのです。

さてさて、どうしたらよいのでしょうか?(笑)







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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)

2017年05月15日

ネオ老子は「選ばない」


皆様が
占いなどに行かれる時とは?

何かの悩みの中で
選択肢を持っている
ときかもしれません。

「どちらにしたらよいのか?」
これは人生において
永遠の問いですね。

では皆様は
どちらにしたらよいのか
迷うときの
「選択の基準」を
考えたことがあるでしょうか?

例えば
恋愛や結婚では
愛を取るのか?
お金を取るのか?
その両方を取るのか?
みたいなことです。

もちろん選択の基準は
見えるものだけではありません。
本質的には
誠実のような
在り方のようなものが
唯一の選択基準になりますが
ここでは様々な深さで考えてみます。

一般的には
選択の基準を無意識に
あいまいにしている人が多いのです。
無意識にです。

例えば
幸せになれるなら
愛でもお金でも
どちらでもよいという人が
いたとしましょう。

一見欲のないような
素晴らしい人だと思います。

しかし、
この場合の選択基準は
明確な幸せではなく
「ちゃんとやっておいて」
「良いように」みたいな
他力本願や
世間一般常識にお任せします的な

要するに判断基準を
自ら考えたことがないのです。

言い換えると
考える必要がない
考えても無駄みたいな
視野の狭い状況なのです。

大昔の我々はある意味
その様な生き方でした。

視野が狭いと
選択肢があっても
気付かないから
選択肢があっても
選べないのです。

しかし、
視野が狭いおかげで
「良い方を選んだ、幸運だ」とは
一応思えるのです。
「人並に」という言葉が象徴しています。
でも「あれ?」と思う時くらいはあります(笑)
でもすぐに誰かに「感謝しろ」と言われて
感謝してしまいます(笑)

人間は
みんながそうなら
それでよい。
選択肢なんて
おかまいなしというか?
それが常識化します。

ですから
例えば
いじめでもなんでも
加害者の数が
圧倒的に多いのです。

多数が少数派をいじめるのです。

そこには
正義や悪とは関係のない
エナジーがあります。

ですから、
皆様が選択肢と
思っているものは
微妙なのです。
巧妙な騙しなのです。

ですから
人は選択のようなものに
常に流されているだけです。


しかし、
もし貴方が
「選択の基準」を
明確に持った時
なんと
既に選択はなされています。

それほど選択の基準は
重要なのです。

そして、
選択の基準を
持たないことを
老子は
「選ばない」と言います。
別の言葉では
無意識的な依存です。

もちろん、老子の話は
何が良くて
何が悪いという
話ではないので
よろしくお願いしますね。







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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)

2017年05月14日

ネオ老子の「ブーム」


皆様の中でも
スピリチュアル系や
自己啓発のような
精神的な学びに
興味のある方が
多いかもしれません。

しかし、
そのようなものに
興味を持つ人の
ほとんどの末路は
肯定的(強く信じる)か
否定的(強く信じない)
そのどちらかの立場を
とることになっていきます。

要するに極端な
両極化なのです。

僕の周りの人たちでもそうです。

例えば
否定派は
昔このようなことを
勉強していたから
全部わかっているし
そんな洗脳に
もうだまされないぞ
みたいな感じですね。

逆に
肯定派は
病気が治ったとか
奇跡を見た話ばかり
されます。

いつも申し上げているように
このどちらも
貴方が勝手に
そう思っているだけで
ある意味
本質を
取り逃がしているのです。

残念ですと
老子も
笑っています(笑)

何で笑うの?(笑)







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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)

2017年05月13日

ネオ老子の世界「気付かない怖さ」


我々の世界は
気付かないようにしていること
気付かないようにされていることで
溢れかえっています。

ですから
だいたい一般的に
公開されている情報の
ほぼすべてがそうだと思います。

別の言い方をすると

ある意味
嘘ばかりの現実
現実的な嘘とでも
いいましょうか?

それを
老子は
「気付かない恐怖」と
呼んでいます。

皆様が感じている恐怖とは
少し違うかもしれないですね。

でも
老子まで行かなくても
我々が視野を広げる
洞察力を上げるとともに
安心感と恐怖が
一緒になってやってくる
可能性もあるということです。

しかし、その恐怖は
むしろ貴方を
守ってくれる恐怖なのです。





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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)

2017年05月12日

ネオ老子の道 「欲望の果なきくり返し」


もう少し、
深める意味で
我々の欲望の
果てなき繰り返しについて
書いてみます。

欲望の果てなき繰り返しとは
普段の我々の生活そのものです。

欲望が無くならないから
農商工業も発展してきました。

経済も欲望なしでは語れません。

しかも、
これだけ見かけで
発展してきたのは、

手を変え品替えの
くり返しだとは
誰も気付きたくないからです。

ですから、
学校の授業でも
素晴らしい発展歴史を教えます。

見かけの変化を見せて
安心させるわけです。

誰一人として
このメビウスの輪から
逃げないように
仕組みます。

僕の世代も
「高度成長期」と言う言葉に
夢震わせました。

万国博覧会や数々のお祭り
我々は発展に間違いないと
確信させられ続けます。

「これだけ立派だから
きっと前に進んでいる
決して
繰り返してはないと」

我々は
見たくないものには
しっかりフタをしてきました。

そのフタとは
目をそらすことです。
視野を狭めることです。
昨日書いた
「純粋」とは真逆のことですね。
つまりどちらかというと
それが極まれば不純です。

実は
何かに対して
「不純だ」と
極端に目をそらす人自身が
不純なのです。

これは
深すぎる話ですから
気に障った人は
「深いところでは、そうだから」
と自分には関係ないと
思ってください。


そして、
現在のように
必要以上の
欲望にまみれることで

欲望が
野望に変わると
エナジーは、
全体的には逆に
弱くなっているのです。

傘に例えると
どんなに立派な傘でも
一人用では
他人を
おおいきれません。

例えば
一国のリーダーが
自身の保身を
第一に欲望する
そんな弱い野望では
自らも危ういのです。

野望とは立派ですが
一人用の
小さな傘なのです。

昨日の話では
ステップとしての

欲望の純粋化
強靭化をお話ししましたが

実際我々は
強めているつもりで
弱めている、
純化しているつもりが
不純になる。

しかも無意識のように
それらが
繰り返されていると
言うのが
実際の欲望の
現状なのだと

気付いたとしても

なかなか
厄介なものです。

とネオ老子さんも
つぶやいています(笑)














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Posted by ダルマ at 07:00Comments(0)老子 タオ(道)