2017年05月15日

ネオ老子は「選ばない」

ネオ老子は「選ばない」
皆様が
占いなどに行かれる時とは?

何かの悩みの中で
選択肢を持っている
ときかもしれません。

「どちらにしたらよいのか?」
これは人生において
永遠の問いですね。

では皆様は
どちらにしたらよいのか
迷うときの
「選択の基準」を
考えたことがあるでしょうか?

例えば
恋愛や結婚では
愛を取るのか?
お金を取るのか?
その両方を取るのか?
みたいなことです。

もちろん選択の基準は
見えるものだけではありません。
本質的には
誠実のような
在り方のようなものが
唯一の選択基準になりますが
ここでは様々な深さで考えてみます。

一般的には
選択の基準を無意識に
あいまいにしている人が多いのです。
無意識にです。

例えば
幸せになれるなら
愛でもお金でも
どちらでもよいという人が
いたとしましょう。

一見欲のないような
素晴らしい人だと思います。

しかし、
この場合の選択基準は
明確な幸せではなく
「ちゃんとやっておいて」
「良いように」みたいな
他力本願や
世間一般常識にお任せします的な

要するに判断基準を
自ら考えたことがないのです。

言い換えると
考える必要がない
考えても無駄みたいな
視野の狭い状況なのです。

大昔の我々はある意味
その様な生き方でした。

視野が狭いと
選択肢があっても
気付かないから
選択肢があっても
選べないのです。

しかし、
視野が狭いおかげで
「良い方を選んだ、幸運だ」とは
一応思えるのです。
「人並に」という言葉が象徴しています。
でも「あれ?」と思う時くらいはあります(笑)
でもすぐに誰かに「感謝しろ」と言われて
感謝してしまいます(笑)

人間は
みんながそうなら
それでよい。
選択肢なんて
おかまいなしというか?
それが常識化します。

ですから
例えば
いじめでもなんでも
加害者の数が
圧倒的に多いのです。

多数が少数派をいじめるのです。

そこには
正義や悪とは関係のない
エナジーがあります。

ですから、
皆様が選択肢と
思っているものは
微妙なのです。
巧妙な騙しなのです。

ですから
人は選択のようなものに
常に流されているだけです。


しかし、
もし貴方が
「選択の基準」を
明確に持った時
なんと
既に選択はなされています。

それほど選択の基準は
重要なのです。

そして、
選択の基準を
持たないことを
老子は
「選ばない」と言います。
別の言葉では
無意識的な依存です。

もちろん、老子の話は
何が良くて
何が悪いという
話ではないので
よろしくお願いしますね。







ダルマ

フェアライト

073-5447-1090


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