2017年05月18日

ネオ老子の道「断念」

ネオ老子の道「断念」
老子は
「忘れたころに便りが届く」といいます。

物事を悩んでいる渦中では
なかなかうまく運ばないものです。

時としてそれを力づくで
何とかしようと思って
熱くなることもありますが
やはり
単に熱くなっただけで
前に進んでいるようには
見えません。

老子の言う「忘れたころ」というのは
時間が経ち無意識(自動的)に
忘れるのではなく
意識的に断念しようと
努力し続けたときのお話です。

ぼくも
やっと断念出来たころに
便りが届くことが良くあります。

その反対に
何かに対して
モチベーションで
一生懸命することを
世間では
美徳と呼ぶかもしれません。

正義(美徳)を信じて
戦い続けるわけです。

しかし、
その美徳を作ったのが
誰?だか気付くことです。

たぶん
美徳は
悪の存在が作っている
可能性が?

実は美徳があれば
悪がはびこりやすいのです。

戦いに美徳をかぶせると
聖戦と言う言葉になります。

この世の戦いは
悪かもしれませんが
聖なる、正義、真理に
塗りつくせば
貴方は悪の侵入を
簡単に許してしまいます。

身近なところでも
他人に
ひどいことをした言い訳に
「貴方のため」と言った
覚えはありませんか?
しかも、
言い訳ではなく
真剣に
そう信じて
言っているわけです。

信じないと言えません(笑)

だから、
そのような(「貴方のため」みたいな)
貴方の善意に
反抗する人も
貴方は
許さないはずです。

このように
更に支配は進みます。

ですから
ある意味では
モチベーションの源泉は
支配欲です。

支配欲に
モチベーションという
美徳カモフラージュを
かぶせているのです。

ですから
逆に
そのようなモチベーションを
断念すると
支配欲が減り
楽になります。


もちろんすべての
モチベーションが
悪いと言っているわけでもなく

しかし、やはり
モチベーションは
行き過ぎると
本性を現します。

老子の言う
「断念」とは
その様なニュアンスの
使い方を指します。

すると

忘れたころに便りが届きます。





ダルマ

フェアライト

073-447-1090


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