2017年10月28日

我々の自我はどれだけ弱い?

我々の自我はどれだけ弱い?
このようなことを
書いていると
自分も含めて
現在の人間の自我とは
どれほど弱いものか?
ほとんど無意識に
流されていることに
気付かされてしまいます。

歴史上の
過去を振り返ってみて
江戸時代の武士や
大日本帝国の兵士はどうか?

表面的に見ていると
自我が強そうじゃないか?

ということは
我々の自我は退化しているのか?

それはたぶん違う。

江戸時代や戦時中の自我は
集合意識の命令のままに
行動をしていただけだ。

自らの意思だと思わされていただけで
実はしがらみがあったわけだ。

武士と言うものは、という規律があり
戦時中の兵士も意思とは関係なく
徹底的に鍛えられた。

よくよく考えてみると
自らの意思で殺しあう人間なんて
いないと思う。

みんな、
お国のためとか
お家のためとか
何かのためにと言う
ことで洗脳と無意識
それによって
やっと肯定してきただけかもしれない。

それに比べて
いまは、自由だ

まあ比べること自体
意味がないかも知れないし
比べようがないが・・・・・

しかし、
歴史上の過去に比べると
たぶん
我々は自由に自我で
思考することが許されている。

でも結局、流されるわけだ。


自我とは?
抑圧されると
自由を求めるが

実際に自由が訪れると
眠ってしまう生き物だ。

結局
抑圧時には自我は活動できず
自由になっても自我が弱まる

なかなか自我とは
扱いにくいものだ。

今日のタイトルの
我々の自我はどれだけ弱い?だが

弱いように見えるが
実は弱いというニュアンスでは
ないのかもしれない。

この自我についても
扱うには
その性質を理解する必要がありそうだ。









ダルマ

フェアライト

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