2017年03月30日
老子と三島由紀夫
今年の正月早々のことである。
1/12の新聞の第一面に
三島由紀夫の記事が載っていた。
自決の何カ月か前の
対談録音が出てきたという。
それは、今なぜ出てきて
これほどまでに
大騒ぎされるのだろうか?
録音が1970年のことだから
既に50年近くたったことになる。
例えば
音楽の版権も50年くらいらしいから
半世紀で何かが終わることも
多いのかもしれない。
三島由紀夫は戦後の日本人の
一つの側面の象徴だったと思う。
彼は「戦後日本では偽善がひどくなった」と
語っていたそうです。
しかし、
老子の立場で見れば
戦後は
「偽善」が必用だったと言うことです。
敗戦国日本が生き残り
しかも大復興するためには
この「偽善」が
キーワードだったのかも
しれません。
いったい何を言っているのか
解らない人も多いかもしれません。
それが(解らないようにされる)
「偽善」の体感なのです。
我々は
自らが偽善者だということさえ
解らなく麻痺させられています。
そうです
偽善とは麻痺のことです。
自己欺瞞とも言いますよね。
さて
我々は弱いとき
麻痺などを
することによってのみ
生き延びるのです。
とりあえず
生き延びれれば
何とか明日も
あるかもしれません。
そして、
少しずつ強くなりながら
生き抜いていくのです。
しかし、
三島さんは何故か
急いでいました。
麻痺できないから
最終的に自決という
死を選ぶしか
なかったのかもしれません。
しかし、
全ての日本人が
偽善(麻痺化)を捨て
三島さんと共に死を
選んでいたとしたら
どうでしょうか?
実際敗戦時に
せっかく生き延びたのに
天皇陛下に命を捧て
自決した人が
多かったという話も聞きます。
そして、仲間と一緒に
自決できなかったものを
非難する声さえあったのです。
我々が覚醒するとは
ある意味恐ろしいことです。
いつか我々が
麻痺を終わらせていくとすれば
このような記事が
新聞の一面に
出ることが
驚きなのです。
そろそろ麻痺を終わらせる人が
出てきたのかもしれないのです。
そうなると
今まで必要だった麻痺が
反転します。
麻痺すること
偽善が悪になるのです。
偽善や麻痺で生き延びることが
ある意味無意味になります。
50年前三島由紀夫が
命を捨ててまで
言っていたことが
質感を変えてやってくるのです。
このような記事が
新聞の一面に
出るのことが
驚きなのです。
と
老子も言っていました。
ダルマ
フェアライト
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Posted by ダルマ at 07:00│Comments(0)
│老子 タオ(道)